橋のない川あらすじ


第一部 1909(明治42)年。大和盆地の小村小森。
日露戦争で父を失った誠太郎と孝二は、貧しい暮らしながら、温かな祖母と母に守られて尋常小学校に通うが、故なき差別に苦しめられる。しかしなお愛を失わず、光をかかげて真摯に生きて行こうとする。

第二部 1914(大正3)年。誠太郎は米屋に奉公し、孝二は松川高等小学校に在学。
兄に代わって、祖母や母を助ける。

第三部 1917(大正6)年。大阪でも米騒動が起きる。
東京の美術学校に在学していた秀坊んは、差別に耐えきれず、帰省する。
騒がしい時代の波の中で、誠太郎は入営する。

第四部 1919(大正8)年。18歳に成長した孝二は、祖母、母と共に農作業に励みつつ、草履職人としても働いていた。貞夫と松川高等小学校の同窓会に出席した孝二は、差別意識に満ちた会員達に向かって、宇宙の真理や人間平等について、毅然として訴える。
大正10年11月、無事に満期除隊した誠太郎は、望まれて大阪の米屋安井家の入り婿となる。
平等会創立大会に登場した秀昭は被差別部落の現状を訴え、全国水平社創立大会への参加を呼びかける。3月3日早朝、孝二と貞夫は会に出席すべく、京都に向けて出発する。

第五部 1921(大正11)年。3月、全国水平社は結成された。故なき差別に泣かされてきた人々は、これを拠点に力強く立ち上がる。しかし、古い因襲と偏見による抑圧に対する人々の抵抗の激しい騒ぎの中で、孝二ら小森の青年7人は獄舎に送り込まれる。だが、真実と正義を求める人々の声は、消えることなく全国各地に広まっていく。

第六部  
1923年(大正12年)9月、東京を襲った関東大震災は、小森の人々をも様々な嵐の中に投げ込んだ。畑中家の隣人志村かねの娘はるえは、朝鮮出身の夫と子供をもぎとられて、東京から帰郷する。
孝二の従妹七重は婚礼当日に、花婿要太郎が検束されて不在のまま、大崎の長島家に嫁いで行く。孝二への想いを抱く杉本まちえは、ひとりの力で生きるために東京での勉学を決意し、一方、まちえへの想いを胸に生き抜こうとする孝二と、それぞれの道に新しい日が訪れる。

第七部
   
1921年に結成された全国水平社の発展に伴い、1924年(大正13年)小森には少年水平社や小森婦人水平社が結成された。更に消費組合ができ、日本農民組合にも加盟して人々の意識は、人間解放の旗の下に嬉々としていた。叔父芳松の家に預けられていた熊夫は尋常六年を無事卒業、大阪の誠太郎の店へ丁稚奉公に出て行く。
そして1928年、孝二は誠太郎の依頼により熊夫を連れて、川島熊次郎を問うべく、網走への旅を決意したのだった。

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