ファーストキル
「はっ……はっ……」
“巫女”壬生榛名は、壁に寄りかかり、息を切らせていた。顔面は血の気が失せて蒼白になり、全身を滝のような汗で濡らしている。長い髪の毛は、こまごまと顔に張りつき、瞳孔はぎゅっとすぼまっている。
別段。疲労が原因でこうなっているわけではない。
裏の仕事をはじめて引きうけ、これから人を殺そうとしている。今まで養ってきた弓の技を、人殺しのために使おうとしている。今まで精神修養のために培ってきた弓を、はじめて人殺し――本来使われるべき方面に使おうとしていた。
両親が失踪を研げて以来、彼女はこうした裏の仕事で生業を立てていたが、いままで人を殺さずとも何とかなったのだ。
だが、とうとう今日はじめて、人を殺さなければならなくなったのだ。
彼女が緊張するのも、それはやむなきことだろう。
「はっ……はっ……まだ、なの?」
ちょっとだけ顔を覗かせ、対象が訪れたか確認するが。まだきていない。
時間を確認する。まだ、彼がここに訪れる予定の時刻まであと5分だ。
時間は、二日前にさかのぼる。
暗闇の中、アイ・オヴ・ザ・タイガーは見事な役割を果たしてくれた。普通なら、この暗闇の中ではまともに歩くことすらかなわないだろう。
バー、ヤロール。裏の仕事があるときは、常にここに呼び出される。
「今回の仕事は、殺しです」
目の前の好青年は、平然と榛名に告げた。
「……」
言葉には出さず、口の中にたまった唾液を飲み下した。いずれ来ると思っていた仕事が、今訪れたのだ。
「榛名さん、あなたはまだ、人を殺したことはありませんね?」
一秒ぐらいの時間を置いて、「ええ」
と答えた。
「なれた人なら簡単な仕事です。最近出まわっている覚醒剤を製造、販売している組織のリーダーを暗殺してもらいたいのです。標的の顔もわかっています。名前はハーサン。あなたが調べることは、ほとんどないでしょう。報酬は、ブラチナムで2枚。あなたが調べるべき情報は、すべてこちらで調べておきました。ですから、暗殺依頼の仕事としては安いほうですが、妥当な線でしょう。引きうける、引きうけないは、すべてあなたに任せます。どうしますか?」
Mは、実に淡々と説明した。
確かに、仕事としては簡単かもしれない。殺す前段階まで、すべて調査が終了しいてるのだ。
本来なら、危険をおかして調べるような情報が、最初から提示されているのだから。だからといって、一度も人を殺したことがない彼女にとっては、かなり難しい仕事であったのかもしれない。
「どうしますか?」
もう一度、Mは尋ねた。
これから、自分はこういった仕事を幾度も引きうけなければならない。断るのは、ただやらなければならない問題を先送りしているに過ぎないのだ。
「やります」
Mは、彼女の決意を感じさせるその台詞を聞いてにこりと微笑んだ。
「そうですか。まずありえないと思いますが、失敗した場合、報酬は支払われない上に、今後、わりのいい仕事はまわってこないものと考えてください。この仕事は、いってみれば、殺しをできるかどうかという、あなたの能力のテストなのです。いいですね」
「わかりました」
榛名はしっかりと頷いた。自分でもこれは、と思えるほど大げさに。
Mは、吹き出しそうになり、口を押さえた。
「?」
依頼主の奇妙な反応に、榛名の頭の中が疑問符でいっぱいになる。
「失礼……笑うつもりはなかったのですけど、あなたが、あまりに真剣な顔をして子供みたいに頷くものですから。もう少し、肩の力を抜いたほうがいいですね。仕事に差し支えますよ」
「あっ、その……はい」
上ずりそうになる声を押さえながら答えた。引きつった笑顔を浮かべている。
「ご両親、はやく見つかるといいですね」
「はい」
榛名は、改めて笑顔を浮かべた。17歳相応の闊達そうな笑みが、そこにはあった。
――落ち着いて。落ち着くのよ。
榛名は、そう自分に言い聞かせた。落ち着いて、いつも通りに矢を放てば、この仕事は終るのだ。
たやすい仕事、とは言いきれない。初めて人を殺すのだから。容易いはずなどないのだ。難しくて当たり前。簡単と思えるほどに、彼女はイッてるわけではない。
車の止まる音がした。
――来たッ!
心の中で囁いた。
――ここに来るとき、ハーサンは護衛無しでくる。
耳を凝らした。
足音は二人。
――情報の手違い?
頭を振った。今更迷ってどうする。
ばっと飛び出して、標的を確認した。背の高い、ドレッドヘアーの男。
いた。女と一緒だ。服装から娼婦と判断できる。向こうは無警戒だ。
矢を番え、弓を引き絞り、放つ。
今までに何度もやってきた行動が、今日はやけにつらい。
ばひゅん!
弦が空気を引き裂き、矢を放つ。彼女の目には、矢がしなり、飛んでいく姿がはっきりと見えた。百発百中。間違いなく急所に命中する。
人を殺した。確信が、彼女の中に膨れ上がった。
どすっ!
音をたてて突き刺さったのは、娼婦の体だった。
身代わりにしたのだ!
「そこにいるのはわかっていたぞ、女ぁ」
ハーサンは、振りかえるとにたりと笑った。
――殺した。私……殺した……
関節すべてに、力が入らない。人の着れた操り人形のように、その場に崩れ落ちる。
「けっ、ガキが」
榛名は、近付いてくるハーサンを、呆然と見詰めた。
「小娘が、粋がるんじゃねぇッ! 何処のどいつに頼まれたんだ?」
――動かなきゃ、やられる……
「こたえろっつてんだろ? ああっ?」
榛名の胸倉をつかんで、ぐいと引き寄せる。
「……」
「あぁ? なにいってんだよ、てめぇっ」
「殺さなきゃ……ハーサンを殺さなきゃ……」
随分と物騒な台詞を言っているが、抜け殻に等しい。
ハーサンは、にやりと唇を歪める。よく見れば、かなりの上玉だ。こいつをヤク漬けにして娼婦に仕立て上げれば、かなりのカネを稼ぎ出せる。俺の言いなりにして、うっぱらってもいいだろう。
「こいよ」
「どこにいくのよ……」
「こっちにこいっつってんだろ?」
榛名を引きずり、今しがた、つれてきた娼婦と一緒に入ろうとした、安アパートにつれていこうとする。
「やだ……放してよ、人でなし……」
「はぁ? 人でなしだ? ははっ、こりゃお笑いだ。人でなしかよ……女ぁ、寝言言ってんじゃねぇよっ!」
榛名の腹を殴った……はずだった。
だが、榛名はするりとよけて、ハーサンの手を振り解き、駆け出したのだ。距離を置くと、すばやく弓を構え、矢を放つ。
ハーサンは、彼女の行動を予測してよけた、つもりだった。
だが、矢は自分の予想を裏切り、勢いを保ったままわずかに曲がったのだ。
「婆娑羅かっ!」
叫んだ頃には、自分の腹に矢が刺さっていた。急所である肝臓に矢が刺さる。脳髄に移植したIANUSUにわずかなノイズが走り、痺れが全身に回わる。
「くっ!」
矢を引きぬき、榛名に向かって走りだす。顔面に向かってドロップキックを見舞う。蹴りはこめかみをかすり、わずかながら擦り傷を与えた。そして、背中で着地すると伸びるように逆立ちをする。
この変則的な動きは、間違いなくカポエラだ。
ぶるっと、榛名の体が震えた。
人の動きではなしえない瞬発力をみせ、さらに走り出しながら矢を放つ。オーヴァードライブを始動させたらしい。
的確な射撃だ。走りつつ、ハーサンに向かって矢を射掛ける。近付いて、《死の舞踏》をしかけようにも、こう距離を取られてはやりようがない。そして、相手は確実に兜割であるだろう。
致命の一矢が訪れた。眼球に、矢が刺さったのだ。
「っ! うろちょろ、うろちょろと、やかましいアマだぁっ!」
本能が体を突き動かした。全身のキズを一瞬にして消し去り、意志力によって無理やり肉体の枷を外し、強引に体を動かす。
全身に気がめぐり、榛名に劣らない瞬発力を見せて、瞬間、動きが止まった榛名に肉薄する。
「死ねや」
ばしゃんっ! と音を立てて足からMDガイストが飛び出し、すさまじい勢いで的確に急所を切りつけ、致命的な一撃をくわえる。
《死の舞踏》――ダンス・マカブル!
決めたはず、だった。
しかし、眼前の少女は立っている。しかも無傷で。
車鞍!
榛名はすばやく距離を置くと、いままでとは明かに違う死の一矢を放つ。《とどめの一撃》――クーデグラだ。
ハーサンは、額に突き刺さろうとする矢の輝きを、はっきりと見ていた。
榛名は、滝のような汗を全身から流していた。オーヴァードライブの影響もあるが、初めての人殺しに、体が異常な興奮を示しているのだ。全身が燃え上がるような、一種性的な高揚感に全身が震えている。
今まできたえてきた自制心で、必死に欲望のうねりを押さえ込む。
「帰って、報告しなきゃ……」
ずるずると疲労の溜まった体を引きずり、自宅に帰っていった。
翌日、榛名の口座にはプラチナム2枚分の報酬が振りこまれていた。
後書き
まあ、半日で書いたものですから、あまりストーリーにこれといったものはないです。ただ、どんなTRPGやRPGでも、最初の殺人について書かれているものはありません。それに疑問を感じて、ちょっと書いてみました。
長く書けば、もっと長くかけるのですけどね。あんまりこれにばっかり時間を取られてもまずいですし。
ちなみに、この小説(とよべるのか?)の元となったTRPGは、アスペクト刊行のトーキョーN◎VAです。
サイバーパンクRPG、とはちょっと違いますが、独特のルールと世界観は、非情に魅力的です。ダイスを使わず、トランプですべて解決していくので、ダイスをふることが大好きな人は、ちょっとつらいゲームかもしれませんね。
でも、基本ルールが3800円と、それほど高くないゲームですし、サポートも行われています。一度はやってみてください。面白いですよ。
それでは。