VMの間奏
V/M. Bardoing
1992年、8分、8mm、カラー
初公開:目黒区美術館所蔵作品展(東京・目黒区美術館)
[解説]
 ひさしぶりにサイレントの作品。内容はコマ撮りで雲が流れるだけ。『極星』での雲の流れのシーンは、ひさしを入れ込んでの撮影だったが、ここでは純粋に雲と太陽の運行を撮っている。これ単独で成り立つ作品ではなく、VMシリーズの全体の中での置き石的な位置にあるものとして作った。

VMの不渋
V/M. Releasing
1993年、10分、8mm、カラー
初公開:イメージフォーラムフェスティバル(東京・シードホール)
[解説]
 書き忘れたが、VMシリーズはナレーションを入れないことを原則としている。ナレーションを禁じ手にしたと言ってもいい。毛唐にもわかるようにという親切心がその理由である。で、この作品は、エッセイとしてコトバにすれば200字ほどで済んでしまうものを、あえて映像に置き換えてみた。しかしそれだけでは物足りないので、意地悪心を起こして、わざと映像主義的に作品を観るむきには分かりにくいようにエサをばらまいたりして、けっこうひねくれた性格の作品になってしまった。プロレス的に表現すれば、底が丸見えの底無し沼状態なのである。それをあえて解説すると、父や祖母、祖父、昔飼っていた犬や猫の写真が置かれた庭に、作者=ワタシの写真が空を飛んで還って来るという作品。

見捨てるほどのワタシはありや?
I have no myself to desert
1993年、17分、VTR、カラー
初公開:テラヤマワールド展(東京・池袋西武ロフトギャラリー)
[解説]
 初のビデオ作品。全編が寺山修司さんと谷川俊太郎さんの『ビデオレター』のパロディになっている。映像による「意味」と「私」についての自問自答。たどりつくのはやはり青空だ。

6月15日の赤いバラ
The Red Rose for June 15
1993年、3分、8mm、カラー
初公開:映像ネットワークVIEWフェスティバル(長野・大日向公民館)
 出演:神岡猟
[解説]
 パーソナルフォーカス93出品作品。『猫夜』に続く長編映画『虚港』のために撮影されたシークエンスの断片。街にたたずむ男。手には一輪の赤い薔薇。彼は地下鉄に乗り、とある路上にその薔薇を置く。ズームバックすると、そこは国会議事堂の前であるということがわかる。ナレーションでは、物語として完結し得なかったこの断片が、自分の中で物語的なノイズとして生き続けることが語られる。

往復III
Filmletter★Oufuku III
1993年、75分、8mm、カラー
初公開:フィルムレター「往復」(東京・ラ・カメラ)
プロデュース:正木基
[解説]
 撮影期間は1989年春から1993年末までの約4年半。ますますペースが落ちて1年1往復になってしまった。こうなると前に出したフィルムとの連関性が稀薄になり、また山田さんの方も、一信ごとに住居がかわり、さらに途中で東京に出てきたりで、それまであった東京と北海道との距離感がなくなってしまった。また、山田さんのレターにはしょっちゅう僕が登場したりするので、ふたりの関係性がよくわからないという欠点も指摘された。ここらへんは『「』で改善しなくては。内容的には、お互い途中で『アンモナイト』『プ』があったため、その現場でのレポートもあり、『薄墨の都』(山田監督、山崎カメラの92年イメージフォーラムフェス出品作)の現場状況があったりと盛り沢山、かつ、より私信に近いかたちになっている。

VMの蜜猟
V/M. Honey Hunting
1994年、6分、8mm、カラー
初公開:イメージフォーラムフェスティバル(東京・シードホール)
[解説]
 湿って緑鮮やかな庭の植物。そこをうごめく昆虫たち。やがてカメラはなめくじに興味を持ち、レンズの上を這わせたりする。そしてついにはレンズ面と窓ガラスの間になめくじを挟んで、これを圧殺してしまう。次から次へと圧迫されて押し広がり、破裂していくなめくじたち。最後は握った掌を開くと、そこにある一握りの塩の中からなめくじが復活する。これは逆転撮影。とある観客から「最近はヴァイオレンスな映画を撮らないじゃないの」という指摘があり、それならと梅雨時の自宅で手軽にできるヴァイオレンス映画を作ってみた。

100年後
100 years after
1994年、56分、8mm、カラー
初公開:エロティック(東京・ラ・カメラ)
[解説]
 家に保管してある、これまで撮ったフィルムのNGや使わなかったシーン、予告編、テストフィルム、無目的にカメラを回した断片などを床にぶちまいて、それをランダムに選択し、そのままつなげてみました、という設定の作品。ひとつの引用が終わるたびに「それから100年たった」というナレーションが入る。見ればわかるだろうけれど、もちろんランダムではなく、順番は決めてある。当初の思惑は「扉の向こうにまた扉」的な、悪夢のように延々と続きそうな作品をつくってみたかったということと、もうひとつ、劇映画、個人映画、実験映画のみならず、クズフィルム、テストフィルムなどなど、映画のあらゆる形態が入っている「全体映画」みたいなものはできないだろうかという構想(妄想)もあった。
 ラスト。フィルムの引用を断ち切り、街へ出る。いつまでも空の赤い街を自転車で走る。やがて長いトンネルを抜けると、そこは墓場だ。冒頭で引用したフィルムの女性が待っている。亡霊だと思うワタシに対し、彼女は「死んでいるのは山崎君のほうよ」と言って、去ってしまう。なお、映画の中でワタシが歌っているのは曲馬館という劇団の劇中歌で「涙橋哀歌」という歌。


PU
1994年、92分、35mm、カラー
初公開:ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭(北海道・夕張市民会館)
 出演:佐藤浩市 平常 緒川たまき 日野利彦 木村なつみ 北田フサノ
 撮影:圖書紀芳  照明:黒橋孝成・岩崎豊  美術:上野茂都
 音楽:勝井祐二  演奏:鬼怒無月・芳垣安洋・大坪寛彦・広瀬淳二
 助監督:森崎偏陸  プロデューサー:西村隆・山崎陽一
[解説]
 ちゃんとシナリオを書いた「劇映画」としては『ポプラ並木の憂鬱』『ダイナマイト・ロード』に続く3本目。カメラを自分が担当しなかったのは初めて、ということになる。
 お話のジャンルはファンタジー。北方の島に住む少数民族プ族の里。ここにひょっこりと世界放浪をしていた乱暴者のキショウレ(佐藤浩市)という男が帰ってくる。なんと彼の息子だと言うパクチョン少年(平常)を連れて…。おりしもプの里は「ワジン」によるレジャーランド開発の計画が進行中だ。里の青年団長ツバサは、土地を売り渡すこととひきかえに、レジャーランド内にプ族の「民族村」を作ってもらおうとしている。しかし、プ族はすでにコトバも歌も踊りもすっかり忘れてしまっている。そこで「伝統はこれから自分たちの手で作るのだ」と、創作民族芸能の練習に励む日々。そんな状況を見たキショウレは、嘘かマコトか「プ族には隠された秘宝があるのだ」と言い出して里の人々は一気に活気づく。一方、五百歳と噂される怪物婆さんを見にいったパクチョンは、そこで不思議な少女に出会う。少女に導かれるように森へと入ったパクチョンは、誰もが忘れてしまった古代の魔導テクノロジーへと目覚めていくのだった。
 感想。多人数で作る映画ってのは、なんだか乱交パーティーみたいだ(と言ってもモノホンの乱交パーティーに参加したことはないけれど)。これまで役者以外は自分ひとりで映画を作ってきたものだから、言わば、映画の女神さまとサシで乳繰り合っていたようなものだ。今までの撮影を思い返してみても、車は一台で済んでいた。済んでいたというか、それしか動員できなかったというか、一台に8人ばかり詰め込んで撮影したこともあったけれど、まあ、スタッフが2ケタにはならなかった。それが急に50人もの大所帯。そこで生じたすったもんだの顛末の概略は月刊「イメージフォーラム」誌95年2月号に製作ノートが載っているので、そちらを図書館ででも借りて読んでもらいたい。

VMの歩行
V/M. Walking
1994年、7分、8mm、カラー
初公開:ラ・あんよ(東京・ラ・カメラ)
[解説]
「足」というテーマが設定された上映会のために作った。他の作品がだいたい女の足なので、ひねくれたワタシとしては男のゴツい足でいこうと、安直に自分の足を多重撮影し、そこにさらに大映映画『大魔神』を引用。やはり大魔神の重低音ストンピングにかなうものはないでしょう。迫力だけの一発映画。

8ミリの女神さま
Goddess of 8mmfilms
1994年、4分、8mm、カラー
初公開:パーソナルフォース94(福岡・福岡県立美術館)
[解説]
 自作自演の劇映画。8ミリ映画作家の主人公は自宅にブロンズ製の8ミリ映画の女神さまの像を有していて、撮影の前には祈願を欠かさず、編集時にはヴューワーの上に安置して女神さまに見守られながら作業をとりおこなうという敬虔な信徒だ。そんなある日、女神さまが夢枕に立ち、彼に8ミリの窮状を訴え、8ミリフィルムの自主製作を命ずる。めっそうもないと断ると、そこで目が覚め、彼は女神像が空中浮遊しているのに気づく。女神像はそのまま外へ飛んでいってしまう。うろたえ、あわてて追いかける主人公。天に向かって「なんでもします」と口走ると、「そのコトバ、まことじゃな」と背後から女神さまの声。