極星
Guiding Star
1987年、75分、8mm、カラー&白黒
初公開:山崎幹夫映像個展「極星」(東京・ユーロスペース)
出演:神岡猟 寺本恵子 寺本和正 川口善之 岩渕彩子
音楽:勝井祐二(デフォルメ)
[解説]
1985年4月、《僕》は友人の神岡猟を主人公に、一本の映画を撮り始める。しかし三ヶ月を経過しても映画の全体は見えてこない。梅雨になり苛立ち始めた僕はこの映画を中止にしようかと思う。秋になり、僕はひとりでカメラをまわし始める。毎日、日没の風景をコマ撮りしたり、眠っている自分を撮ったりする。そして冬、ぴあで映写技師のアルバイトをしながら映写室でカメラをまわす。そんなある日、家で飼っているうさぎが死産した。庭の楠の下に埋葬しながら、僕は一昨年死んだ父のことを想い出す。父が8ミリカメラを買ったのは17年前のことだ。家に残っているフィルムの中で、幼い僕と妹が遊んでいる。父はもうこの世にいないけれど、父の残した〈まなざし〉だけは残っている。そして僕は旅に出る。北陸のある町で、昔、僕の映画に出てくれた女性と会う。彼女はもうすぐ4歳になる彼女の子どもを連れてきた。東京に向かう列車の中でうたたねをすると、夢の中に彼女が出てきて「もうすぐ出口がみつかるよ」と言う。東京に戻った僕は神岡に「また撮影を始めるぞ」と言う。物語の縛りから解かれた神岡は、カメラをおちょくるかのように、あるいは戯れるかのように野原を走り回る。ふたたび部屋に戻ってきた僕は、マイクに火をつけ、炎をレンズに押し当てる。
宇々田公三はこの映画を「死と恢復(再生)の物語」と評した。彼によると、この映画の中には4つの「死と恢復」があると言う。|最初に計画した映画は瓦解するが、ラストで主人公の神岡が役から解放されることで物語は成仏し、もっと広い世界が提示される。}死産するうさぎが、ラストではちゃんと子どもを産み、元気よく子うさぎが小屋から飛び出してくる。~父は死んだが、のこされた父のまなざし=ホームムービーがこの映画に取り込まれることで新たな生を受ける。学生時代に作った映画に出演した女性を再び撮りに行くことで、物語の枠を越えた関係が再生される。
あるいはこの映画のあちこちで露呈している「嘘」が指摘されることも多い。非難でなく、好意的に指摘されるのだが、つまり、個人映画だからといって事実に忠実でなくてはならないという規則はないということだ。観客にとっても、作者にとっても、基本的にはおもしろかったり、心が動揺したりすれば、それはたいしたもんだと肯定的にとらえるべきだということなのだ。映画も100年続いてきた表現形式だから、観客もいいかげんすれっからしになってくる。変動する「リアル感」の相場は、ようやく「虚実被膜」の領域に受け手の側でも到達したと言うべきか。
作者であり、カメラを回していたワタシ、山崎幹夫が「ほんとうに」寺本恵子に思いを寄せていたかどうかなんて、どうでもいいことなのだ。神岡猟が役から解放され、どこへ走り去ろうとそれもどうでもいいことなのだ。父のまなざしだけが残っているなんていうことも、冷静に考えればレトリック(言い回し)に過ぎない。うさぎはほっといても勝手に子どもを産む。うさぎにしてみりゃ余計なお世話だ。突出していたのはカメラだけだ。カメラが率先してこの映画を引っ張ってしまったのだ。カメラの教えに忠実になること。この映画を支えたのはこれだけ。出口なんてそもそもない。ぐるぐる回っていたのはカメラの中の8ミリフィルムだけだ。
『極星』は、8ミリカメラだけが世界を縦横無尽に飛び回って造り上げた映画なのである。ワタシ、山崎が8ミリ映画というメディアを使って作った世界ではなく、8ミリカメラがワタシをして撮らしめた映画なのだ。今となってはそんな気がする。それで、くやしいから、映画の方にもひと泡吹かせてやろうと策を練り、その後『猫夜』という作品をつくることになる。
りりくじゅんび
Preparation to take off
1987年、10分、8mm、カラー
初公開:PFF87プレフェスティバル(東京・新宿シアタートップス)
撮影:大岱学童クラブの子どもたち
[解説]
当時バイトしていた学童クラブで、子どもたちにカメラを渡して勝手に撮らせた。小学校一年生から三年生までの子どもたちの、低い位置からの不安定な移動撮影が全編を占める。自分の頭より大きい8ミリカメラで重たそうに、しかし喜んで撮影する姿がおかしかったのでどんどん撮らせた。現像してフィルムを見ると、なんとも美しい〈まなざし〉に満ちていたので、へたに手を加えずそのまま作品とした。途中、カメラを持った少年が、少女に一発殴られるところは、何度見ても笑ってしまう。考えてみれば、子どもたちの世界ってのは、こんなふうに不意にヴァイオレンスが訪れるものなのだ。
でれっき
DEREKKI
1987年、3分、8mm、カラー
初公開:パーソナルフォーカス87(福岡・福岡県立美術館)
[解説]
タイトルは北海道弁で「火掻き棒」のこと。『極星』を3分に凝縮したもの、と言ってもいいか。大学一年生の時に撮ったフィルムと、現在の自分の影の映像に、当時書いた小説『微笑み、そして死滅する夜』の物語が凝縮して語られる。パーソナルフォーカスの8mm3分という限定された枠の中で、どれだけ物語を込められるかと思って作った。
がむぜ1
GAMUZE 1
1988年、20分、8mm、カラー
初公開:札幌映像フェスティバル1988(札幌・イメージ・ガレリオ)
参加者:田村拓 藤原章 山崎幹夫 七尾太佳史 神岡猟 酒井知彦
[解説]
以下に頻出する「がむぜ」「なまら」「だはん」なる共同製作作品。これらは「勝浦革命大学映像講座実習」という映像ワークショップによって生まれた作品群なのだ。 発想のもとになったのは『映像連歌』で、その体験から、もうちっと面白くするには、もっと条件をきびしくした方がいいのではないかとあれこれ考えて、3パターンのコンセプトを妄想し、それぞれ「がむぜ」作戦、「なまら」作戦、「だはん」作戦と名づけた。観れば一目瞭然だが、それぞれここでまとめて解説する。
がむぜ:
これは日にちと集合場所を決めて呼びかけ、三々五々集まった実習者に、8ミリカメラと地図を渡す。地図には矢印が書き込んであって、ぐるりとひとまわりしてまた集合場所に戻るようになっている。この矢印に従って歩きながら、その間に8ミリフィルムをワンロール回しなさい、というコンセプト。同じ場所を歩きながら、どれほどまなざしに差が出るか、という実験なのだ。
『がむぜ1』は、とりあえず最初ということで、ワタシの自宅に集まってもらって、そこから梅岩寺という寺を最遠点として一周してもらった。カメラのレンズ上下にマスキングして無理やりシネスコにし、お地蔵さんと問答する藤原章のパートが秀逸だった。
なまら:
これはある場所に集合し、全員が8ミリカメラを持って、「いっせのせ」でフィルムを回し始め、そのまま3分間回し切ってしまう、というコンセプト。
スタートの時点で一緒にいれば、あとはどんな動き方をしても結構。まったく同一時間に、うごめく多数のカメラの目が、どんな光景をとらえるか、ということが狙いだ。常々「3分の映画は3分で撮れる」と言い張って来たのだが、これは結果的には3分の撮影時間で、最長50分の映画が誕生した。「最長」というのは、参加者全員の撮ったフィルムを上映すれば『なまら1』の場合、最大で50分ということで、上映会のプログラムに合わせて、何人かを「不可」として削ったりするので時間が確定していないというわけなのだ。
だはん:
「全国同時多発ゲリラ方式」と名づけたのだが、これは決められた日に、お昼のNHKの時報から20秒ほど画面を撮って、そのまま3分間フィルムを回し切りなさいというパターン。日時だけを共有し、空間的な広がりを持たせた試み。
現在では映像実習はお休み中。『3時に集まって』や『追悼エクタクローム』など、いわゆる集合映画がその後、いくつか現れたため、発展的解消と称しているのだが、また新たなコンセプトを考案して、再開したいと考えている。
ところでそれぞれの作戦名だが、とくに深い意味はなく、すべて北海道方言。「なまら」は「とっても」の意、「がむぜ」は本当は「がんぜ」と発音して「うに」の意、「だはん」は「だはんこくでない」というふうに使って「わがまま」の意、だそうだ。これは北海道出身の神岡猟から引き出したものなので、上川地方だけのものかもしれない。
なまら1
NAMARA 1
1988年、30分〜50分、8mm、カラー
初公開:札幌ぼよよん天国「映像の顔面シャワー」(札幌・イメージガレリオ)
参加者:園子温 七尾太佳史 鈴木章浩 大川戸洋介 足立政典 金子丈男
河西宏美 寺本和正 寺本恵子 山崎幹夫 小野幸生 小口詩子 竹平時夫[解説]
コンセプトについては『がむぜ1』を参照のこと。集合は池袋駅西口。足立政典はあらかじめ2人の役者を仕込んでドタバタドラマを展開。小口詩子は花で飾ったローラースケートにカメラを固定して転がした。山崎と寺本親子は3つのカメラと人物の位置関係が交錯してそこそこおもしろい。
がむぜ2
GAMUZE 2
1988年、約30分、8mm、カラー
初公開:猫夜…山崎幹夫作品集(東京・イメージフォーラム)
参加者:酒井知彦 石井秀人 山崎幹夫 原達也 平野勝之 七尾太佳史 神岡猟
松井エリセ 岩渕彩子 鈴木卓爾 小坂井徹 小川智子
[解説]
新宿小田急デパートの屋上に集合し、新宿歌舞伎町を突き抜けるコースを設定した。平野は彼の映画『雷魚』の主演者、杉山正弘を使って撮り、石井秀人は光へのこだわりを見せる。また七尾はなんとサックス奏者、西内徹氏を連れてきて、ヒンシュクを買いながら街で吹かせまくった。なお、この時の屋上での参加者の様子が『あいたい』で見られる。結果的に一日で2本の作品ができてしまったわけだ。
じょっぴん
JYOPPIN
1988年、3分、8mm、カラー
初公開:パーソナルフォーカス88(福岡・福岡県立美術館)
[解説]
タイトルは北海道弁で「鍵」のこと。『陸路は〜』『泥の〜』『うまうお』『極星』に連なるマイクを使った作品。部屋を飛び出して遊んでいる子どもたちに襲いかかるが、マイクは少女に奪われてしまう。マイクが男根の象徴だとすれば、最後にマイクをくわえるのは自己フェラ××か?
だはん2
DAHAN 2
1988年、約15分、8mm、カラー
初公開:猫夜…山崎幹夫作品集(東京・イメージフォーラム)
参加者:吉雄孝紀(北海道) 山崎幹夫(東京) 大川戸洋介(東京)
田村拓(東京) 宮田靖子&福間良夫(福岡)
[解説]
参加者は5人と少なかったが、北海道の吉雄君と九州の宮田さん福間さんが参加してくれたおかげで距離的な幅が広がった。なぜか5人が5人とものんびりとした雰囲気を醸し出している。なお『だはん1』はない。作戦を決行はしたが、ワタシは撮影に失敗。参加者も少なかったため、不成立とした。
あいたい
AITAI
1988年、11分、8mm、カラー
初公開:ニューイメージ宣言(東京・イメージフォーラム)
音楽:勝井祐二(デフォルメ)
[解説]
「会いたい」と「靉靆(雲の流れるさま、あるいはレンズのこと)」をかけたタイトル。期限切れ後、熟成10年を経たフィルムを使っての一種のフェイク作品。けれども途中に挿入される「誰のものか分からないフィルム」は本当のことです。フィルムでなくては孕むことができない生きた物語ということを、ここから考え始めた(現在も考え中)。
往復II
Filmletter★Oufuku II
1988年、90分、8mm、カラー
初公開:FREAKOUT THEATER(京都・自然堂)
プロデュース:正木基
[解説]
山田勇男さんとの往復映像書簡の第2弾。今回は最初から音(音楽あるいはナレーション)を付け、また前回はなんとなく慣例になった3分をいう枠もはずして取り組んだ。その結果、一回分の量が多くなり、結果的に90分という大作になってしまった。撮影期間は1986年春から1988年末までの約2年半。ワタシが先攻で5往復したので、ペースとしては半年に一往復。語りや音楽が入ることで、手紙っぽくなり、結果的には『氈xでのお互いの資質の対立から変わって、融合をめざしたようなニュアンスが前面に出た。最後の方で、画面には出ないが、湊谷夢吉さんが亡くなり、そのためにやや暗い感じの作品になってしまった。