CAMERA←→EYE
1982年、15分、8mm、カラー
初公開:大瓢プロ最終上映会(札幌・4丁目プラザ7Fホール)
[解説]
映写機を2台使って映写する作品。クローズアップで写し出される部屋の中のいろいろな物。過去へと遡っていく自分の身分証明写真。2台の映写機のフレームは決して重なることなく、呼吸するようなリズムでスクリーンをはみ出す。一部を映像通り魔共同製作作品『逆行の夏』に流用のため、現在上映不能。
ゴーストタウンの朝
Ghosttown at Dawn
1983年、47分、8mm、カラー
初公開:イメージのネットワーク・札幌シネマニューウェーブ(東京・イメージフォ ーラム)
出演:海岸秀喜 神岡猟 石丸ひろ子
[解説]
廃墟のようなこの街で、ひとりの男が生きている。彼は“ねずみ”と言われている。彼は迷路の中で自滅しかけていた。ときおり“うさぎ”の幻が現れ、彼を導いた。唯一の友人、チンピラの“6月”が殺され“ねずみ”は夜明けのゴミの中へ倒れ込む。この作品も上映回数は多い。PFF84に入選しての全国上映や、この作品をきっかけに森永憲彦、佐々木浩久らと旗揚げした“映像通り魔”による全北海道巡回上映などなど。この作品は『ダイナマイト・ロード』の反省から『ターミナルビーチX』の時に戻ろうと、シナリオを書かずに、現場でのイメージの醸成に任せて撮り進めていった。そのため、どれだけ撮影すればアップするのかわからず、役者としてはテンションを維持するのに苦労したそうだ。音楽はニューエイジステッパーズ&クリエイションレベルのダブアルバム『THREAT TO CREATION』を使用している。
散る、アウト。
Chill-Out
1984年、24分、8mm、カラー
初公開:雪上にトマソンを追え!(札幌・新駅裏8号倉庫)
出演:犬飼久美子 神岡猟 映像通り魔メンバー
音楽:勝井祐二(デフォルメ)
[解説]
“映像通り魔”最後の作品。ミッキーマウスの仮面をかぶった男が路上で配るチラシを何気なく受け取ってしまったことから、主人公クミコは夢に似た不条理な世界に叩き込まれる。迷宮世界をさまよった果てに、クミコは奇妙にねじくれたミッキーマウスに再開する。ミッキーマウスはクミコに「ここは映画の中だ」と教える。映画の中にさまよいこんだものは、もう、死ぬことができない。物語の断片に翻弄され、決して辿り着くことのない「出口」を求め、永遠にさまよい続けるしかないのだ、と。クミコは物語の果てを目指して100万年も歩き続ける。おぼろな地平線の果てでは、あったことも、なかったことも、すべてが物悲しいあいまいさに包まれていた。そこでクミコははたと気づくのだ。ここは自分の体の内部なのだと。それでも歩みを止めることはできない。より遠くを目指して歩き続けるしかないのだ。
タイトルは当時、撮影への出撃曲として使っていたレゲエ・バンド「ブラック・ウフルー」の同名のアルバムよりいただいた。英語のChill-outとは「凍てつく」という意味。そして正式には「ちる、てん、あうと、まる」と発音する。これは詩人の吉増剛造さんの朗読に感動するあまり、日常生活でも「てん」「まる」を発音していたためである。
世界はがらくたの中に横たわり
The World lies down in Scrap
1984年、12分、8mm、カラー
初公開:映像通り魔→∞(札幌・jabb70hall)
[解説]
東京に戻ってからの第1作目。父の死という大きな出来事を中心とした個人映画。意識のない父の看病。その父の撮った子どもの頃の自分のフィルムの引用。そしてそもそもの出発点であった、父の8ミリカメラを庭に埋める。タイトルは中学生の頃、いれ込んでいたロックバンド「頭脳警察」の「さようなら世界夫人よ」という曲の歌いだしのフレーズから。
陸路は夜の底に沈み…
The Landroute goes to The Bottom of Night
1985年、19分、8mm、カラー
初公開:札幌4蹴目30日間「さよなら札幌また来て死角」(札幌・新駅裏8号倉庫) 出演:犬飼久美子
[解説]
光を取り込むレンズと、音を取り込むマイクとの関係。ベランダからたらしたマイクに猫がじゃれつき、屋上で倒れている女性の上をマイクが執拗に通過する。ひきずられるマイクは路面との摩擦音を拾うしかない。オスナブリュック実験映画祭出品
映像連歌
Visual RENGA
1985年、30分、8mm、カラー
初公開:映像感覚 第2回3分間8ミリフィルムフェス(東京・国分寺・本多公民館)参加者:中島洋→白土勇→鈴木敬→山崎幹夫→小崎隆→福間良夫→佐々木健→暉峻創 三→IKIF→麻生知宏
[解説]
札幌のイメージガレリオ(現シアターキノ)の主宰者中島洋さんから発した8ミリ3分のフィルムに、全国あちこちに住む9人が自分の3分の8ミリをつけたして順々に次の人に送るというコンセプトの映画。ワタシは4番目を担当。徹頭徹尾コマ撮りで街を走り回った。
銀色の星
Silver Star
1985年、3分、8mm、カラー&白黒
初公開:映像感覚第2回3分間8ミリフェス(東京・国分寺・本多公民館)
出演:寺本恵子 石丸ひろこ
[解説]
いま(庭で猫の首を絞める)、過去(『ゴーストタウンの朝』での石丸ひろこ)、未来(川のほとりで本を読む女)の3カットから成る作品。石丸ひろこのカットを『往復ー』に使用のため、現在上映不可能。いま(1995年)この文章を書きながら、自分でもどんな作品だったか忘れている。
泥のなかで生まれた
Born in The Mud
1986年、17分、8mm、カラー&白黒
初公開:第22回ハイロ・シネマフェスト(東京・渋谷アピア)
[解説]
個人映画。僕は机にへばりついて、警察無線を傍受しながら引き出しの中にしまってある小物を取り出したり、同人誌に昔書いた文章を読んだりしている。途中にモノクロの断片的なイメージ映像が挟まれる。やがて、僕は得意のマイク遊びを始める。マイクをパンツの中に突っ込んで陰毛のジャリジャリ音を同録したりする。机の上をハエのように飛び回るカメラの目線と、ひっきりなしに聞こえる無線やら何やらの音が醸し出す浮遊感の気持ち良さと不快感を狙ったのだった。最後はモノクロ画面で路地をよたよた歩く自分の視線に、夢に出てきた死んだ父のことが語られる。
往復
Filmletter★Oufuku
1986年、40分、8mm、カラー&白黒
初公開:8aid〜北海道フィルムアンソロジー(札幌・イメージ・ガレリオ)
プロデュース:正木基
[解説]
山田勇男さんとの往復映像書簡。ワタシが東京に戻って個人映画をつくり始めた頃、札幌の山田さんも自分でカメラを回し始めた。それで当時、北海道近代美術館の学芸員だった正木さんに提案されてフィルムレター交換を始めることになった。互いに5往復した後、浅草でお互いに撮りっこして終わる。5往復まではサイレントで、互いの映像感覚の資質の違いがはっきりと観て取れる作品。2ヶ月で1往復していたので、ほぼ1年でこの第1弾は完成した。自分の単独作品で言うと『泥のなかで生まれた』から『極星』の中盤までと重なる。
うまうお
ULMS
1986年、3分、8mm、カラー
初公開:映像アンディパンダンプラン86(札幌・イメージガレリオ)
[解説]
地下鉄ホームでの固定1カットのみの作品。ワタシはやってきた電車に乗って去るが、声は続く。タイトルは「うごかないまなざし、うごくおと」の意。