チラシ裏文章

「みんな時間のないころのゆめをみている」山田勇男
 人生っていうのは、出会いだなあ、とつくづく思う。僕が湊谷さんと出会うことがなかったら、いま、こゝに、こういることはないだろうと思う。僕が二十歳で、二才年上だった湊谷さんは、京都から札幌にやってきて、未だ二ヶ月足らずの時だった。それから毎日のように、第三モッキリセンターの奥座敷であれこれ、語り合った。湊谷さんの話は、単なる博学だけではなく、思い込みの強さも相当なもので、そこが、また魅力的だった。
 稲垣足穂の話になって、互いに愛読者を自認しつゝ、僕は、初めに買ったのが『少年愛の美学』で、湊谷さんは、たぶん『ライト兄弟に始まる』とか『青い箱と紅い骸骨』、『ミシンと蝙蝠傘』だろう。本棚に見かけたから。タルホの中でも、それぞれの嗜好性があり、その辺がまた話題を格別のものにした。
 僕は、その后「天井桟敷」に入団し、『田園に死す』の現場に携わることになり、映画の洗礼を受けた。さっそく、湊谷さんと映画について盛り上がり、質屋の暖簾を叩いた。
 なんとか、タルホの『一千一秒物語』を映像化出来ないものか、と。人の思い入れとは恐いもので、何にも恐れを知らなかった。
 僕の空中浮遊するイメージに、バラストを落すのが、いつも湊谷さんだった。最後の仕上げの主導権(…誤解を招かぬ様、お断りするが、勝手に云々ではなく、僕らのイメージを、正確に伝えること)を持ってくれた。
 そうして、出来上がった処女作が『スバルの夜』だった。一九七七年の六月に準備をはじめ、暮れに完成した。「コメットT伯に捧げる」と、稲垣足穂への献辞をタイトルに入れた。
 『海の床屋』は、萩原朔太郎の「猫町」を読んで、これ、いゝなあ、と。『スバルの夜』の音楽を選曲してくれた、奈良真理子さんのおすゝめ。『猫町』のヒントになったという、ブラックウッドの『いにしえの魔術』も読んで、イメージをふくらませた。何といっても、廃業した、モダンな床屋が、インスピレーションをくれた。
 『銀河鉄道の夜』は、ご存知、宮澤賢治の代表作だが、僕のなかでは「宮澤賢治の夜」として、あくまで、オブジェ的に、抽象的にとらえてみたかった。やみよの幻燈が映る、布きれのスクリーンの、向う側に賢治が、こちらに私が、いつかは、さかしまになって、望遠鏡の仕組みとして、私を見ている僕が、時間のないころのゆめをみているのだ。

山崎コメント
●vol43 1996 6 夢のリアリズム
 毎年の慣例。6月は銀河画報社映画の上映。
「スバルの夜」 山田勇男 1977 8mm 25分
「海の床屋」 山田勇男 1980 8mm 25分
「銀河鉄道の夜」 山田勇男 1982 8mm 45分