チラシ裏文章

「硬軟ふたりの映像魔導士」山崎幹夫
 当ラ・カメラで映画の上映会を始めてから2年が経過した。それを記念して、というわけでもないけれど、今月のプログラムはしょっぱなの92年11月に組んだ5プログラムのうちから、石井秀人と大川戸洋介をカップリングして提供したい。
 石井秀人は『家・回帰』と『風わたり』の2作品を固定で毎日上映。大川戸洋介は3日間、日替わりでいろいろな作品を上映するのでどうかご注意を。ちょっと変則的な上映になるけれど、ひとつ勘弁ということで。
 石井秀人は1960年、群馬県渋川市生まれ。現在、実家のある前橋市でCD屋のアルバイトをしながら映像を作り続けている。
 『家・回帰』は1985年のぴあフィルムフェスティバルに入選した作品。ちなみに当時、この作品を推薦した審査員は、石井聰亙、大久保賢一、大森一樹、長谷川和彦、ほしのあきら、松本俊夫。そうそうたるメンバーである。
 夫に先立たれた石井の祖母。その顔の皺に、老いた体に、執拗に石井のまなざしは投げかけられる。撮ることがすなわち自己の存在証明であるという、石井の硬質なまなざしの力が、みずみずしく花開いている。
 『風わたり』(1991)では、石井のカメラは「まなざしの美の極北」と言えるほどの境地に達している。ここにあるのは、旅先で出会った人々とかわしあったまなざしだけである。老いた人も、若い人も、ただ静かに石井のカメラとまなざしをかわしている。
 死や苦悩を重苦しく描くのではなく、映画文法をつぎはぎして安直な感動を導くのでもない。愛も叫びも祈りも歓喜も、それらすべての情感を越えた地平にぽっかりとあらわれる、不思議となつかしく、あたたかい光。これをフィルムに定着させることに成功しているのだ。
 大川戸洋介は1961年、東京都大田区生まれ。現在も実家にいるが、何をしているかは謎である。ともかくも映像だけは作り続けているようだ。
 石井が「硬質なまなざしの美」だとすれば、大川戸のそれは「軟質の美」である。どこかふにゃらけていいかげんに見える映像の積み重ねのなかから、まるで不意打ちのように、極上の「光の魂」を観客の眼に焼き付かせる。
 大川戸の光に対する感性は、まるで昆虫の触覚のようだ。だから論理的に彼の作品をとらえようとすると失敗する。
 『夢主人』や『フィルムは回る』が、なぜ凡百の個人映画、日記映画から抜きん出て強烈な印象を後に残すのかと考えると、それは、ここにはあらゆる意味のフィルターを取り払って、光と直接に交感しようとする意思がみなぎっているからだ。
 硬質の石井と軟質の大川戸。ともにほぼ同年齢で、ともに個人映画の作家である。しかしこのふたりが他の誰よりも突出しているのは「光への希求」のセンスだ。
 8ミリフィルムというのは、光に感応して、偶然に不思議な特性を発揮する場合がある。35ミリの劇映画と異なり、手を加えていないナマの現実を撮っているのに、なぜか、どんなファンタジー映画よりもファンタジックな、どんなシュールレアリスム映画よりもシュールな映像が現出することがある。
 「いま、ここ」にある光と影を取り込んだだけであるはずのフィルムが、どうしたわけか、「いつでもないいま」の「どこでもないここ」という異世界への扉を、スクリーン上にこじあけてしまうのだ。
 石井と大川戸がそれを自覚しているかどうかはわからない。ただ言えるのは、彼らがその手のひらに8ミリカメラをおさめた時、まるで光の神か何かが召喚されたかのように、フィルムに「光の魂」を宿すことができるという事実だけだ。
 このふたりはきっと、映画の神様が百年目にして地上に生み落とした、映像魔導士なのである。ということにしておこう。

山崎コメント
vol25 1994 11 光のソウル
 3日間の上映で石井の2作は固定で、大川戸作品だけ日替わりにするという変則プログラム。
「家・回帰」 石井秀人 1984 8mm 18分
「風わたり」 石井秀人 1991 8mm 30分
「初夏の西日」 大川戸洋介 1994 8mm  3分
「風のページェントPARTイ」 大川戸洋介 1993 8mm 39分
「期限切れフィルムのシリーズア 光点へ」 大川戸洋介 1992 8mm  3分
「Red Suspense」 大川戸洋介 1985 8mm  7分
「フィルムは回る」 大川戸洋介 1985 8mm 31分
「影」 大川戸洋介 1987 8mm  3分
「夢主人」 大川戸洋介 1987 8mm 38分
 石井作品については以前言及した。大川戸についても以前言及した通り。ただ、大川戸作品というのは、バラで観てはいけないということはここで強調しておきたい。ある程度まとめて観ることが肝要だ。じわじわ蝕まれるような不快な感触を経て、突如、麻薬の中毒ではないが、それに近いような感じでワレワレ観客の側に感性の革命が起きるのだ。例えば『風のページェントPARTイ』で、母猫が仔猫をくわえて、大川戸家の屋根に飛び乗り、向こう側へと乗り越えていくシーンがある。美しい。意味的にはただそれだけのシーンなのだが、映画的に美しい。ラ・カメラのスタッフの大宅加寿子さんが「不覚にも感動してしまった」と言っていたが、まさにその通り。この「不覚にも」というコトバのニュアンスに大川戸映画の極意がある。誰が言ったか「リュミエール以前の映画作家」とは言い得て妙。映画百年の歴史がリュミエールから始まるのだとしたら、それはたかだかフィルムによって表現されたものの歴史に過ぎない。映画百万年の歴史とはワタシでなくメカス翁のコトバだ。洞窟の中で、焚き火の明りをたよりに影絵をつくって遊んでいたあたりから始まった、映像のそもそものセンス・オヴ・ワンダーは、大川戸洋介という特異な映画作家によって確実に受け継がれている。