チラシ裏文章

「旅の一夜の懐しさ」山田勇男
 この頃、妙に、何もかもが、ただひたすら懐しいものごとになっていく。
 何もしないで、何も考えないで、ただボォーッと窓辺に寄り添いながら、時間の引き出しをズズーッと引いている。時間の死骸たちが、湿っぽくなった布団にくるまっている。
 いっそのこと、スウーッと消えてしまえばどんなにかいいのに、と思ってしまう。この鉛筆を持つ指先が、霧の重力に浸み倒されながらも、必ず昇華していくんだ、と思う。
 しかし、もう九年にもなる。初めての異国の夜景に立っていた。これらの景色は札幌の町はずれでみかけた景色の懐しさだった。ロスアンジェルスの空港近くのモーテルの傍で、屋台のハンバーグを買って頬ばった。レタスがシャキッと唸った。
 その時、いままでいた遠くの日本を思い出した。同時に、僕自身はもちろんそこにはいないのだけれど、旅の身仕度のため散らかしっぱなしの僕の部屋にいる気配の僕が、異国に立って夏の夜風を浴びる僕を見ている気がした。庭先に春先植えたプチトマトが実っている。猫たちはテーブルの下に伸びた日射しに戯れている。
 それぞれそこにただそうあるものが、すべて「懐しさ」に変わっていく。僕の心までが、ずっと遠くで独り佇んでいるのがはっきり見えてきた。その甘い生暖かい風が、異国人の隙間を潜り抜けて僕の前を通り過ぎていく。誰も知らない異国の町はずれで、宇宙に投げ出されたような気持ちになった。みえないビジョンがはっきりしてくる。
 何もみえない。何もない。こんなに重いリュックさえ軽々と背中の羽になっている。8ミリカメラを取り出して、夜の外灯に照らされた僕の影を撮るとき、ガラスの粒が光った。指先で摘んだら、一粒の血が浮んだ。妙にリュックが重くなった。

「行ったこともないメキシコの話を/君はクスリが回ってくると/いつもぼくにくり返し/話してくれたね……森田童子『さよならぼくのともだち』」山崎幹夫
 『ライオンと菫』は山田さんの初の異国への旅のなかで作られた映画です。サンフランシスコから、大陸を横断してニューヨークへと辿る旅の途上、山田さんは何かを確かめるかのように、執拗に路上に映る自分の影を撮り続けるのです。
 ゆらゆらと不安定な影の探求が、なぜか観ている僕にはとても心地よくて、山田さんの作品群のなかで、けっこう個人的に気にいっている映画なのですが、これまで、あまり上映の機会がありませんでした。それで今回、ひとつやったろか、という企画なわけです。
 そこで、前座というか、付け合わせというか、僕の方の初めての異国への旅のフィルムをあわせて上映することになりました。メキシコへの旅の記録フィルムです。
 作品化するつもりはなくて、記念写真のようなつもりで撮っていたものですから、ほとんど他人に観せたことのないフィルムです。
 なぜメキシコだったのか。今ではよく思い出せません。インドじゃありきたりだし、メキシコだったらプロレス(ルチャ・リブレ)も観れるし、とかいった雑多な理由のほかに、とにかくやたらと渇いた土地にでも行って、自分の心の裡に巣食うギラギラしたものを溶解したい、そんな気分があったような気もします。
 まあ、理由なんてどうでもいいことですよね。でも、このメキシコへの旅から帰って、気をとりなおして撮り始めたのが『ゴーストタウンの朝』という作品なわけで、とすると、そこで僕が表現した「死への渇望と救済」というテーマには、このメキシコへの旅の印象が強烈に投射されていたのではないか、なんて、12年もたった今になって、他人事のように思うのです。
 旅そのものを思い出すことではなくて、旅の間に思い出したことや、旅によって忘れることができたもののほうが重要なのでしょう。

山崎コメント
vol23 1994 9 異国
 ワタシの『ライオンと菫』が観たい!という希望で組まれたプログラム。山田勇男の初の異国(アメリカ)への旅の道中で撮影された映画で、併映としてワタシの初の異国への旅のフィルムをつけたもの。
「ライオンと菫」 山田勇男 1986 8mm 65分
 山田勇男の旅の軌跡はサンフランシスコ〜シカゴ〜ニューヨーク。サンフランシスコで小倉千夏の協力を得て16mm作品『Un Image』をつくる。シカゴでは当時「イノセントアイズ」というグループをつくって映像製作・上映をしていた青木さんに会い、ニューヨークでは山本安徳に会う。いや、そんなことはどうでもいい。映っているのはほとんど作者=山田の影ばかりなのだ。初めての異国へのひとり旅で、逆に内省していく心の風景が、観ているワレワレにも痛いほどしみてくる。遠い場所への旅。そこで体験するのは空の青や大気の湿度や光のほんらいのエネルギー、そんなものがじつにヒリヒリと心に食い込んでくるような感覚ではないだろうか。空とか大気とか光とかは日本にもある。だが、どうしたわけか異国にいて、まるで初めて(あるいは数十年ぶりに)それらを感知したような感覚に襲われる。そしてその時、記憶の「文書整理的組み替え」が起こる。忘れればいいのにどうしても忘れることのできなかったものを、初めて忘れることができる。あるいは、いつでも生き生きと思い出したいのに、きっかけが揃わないと思い出すことができないことが、容易に思い出せるようになる。山田勇男のこの作品は、どんな海外ロケ映画でも表現できなかった、そういった感覚に満ちている。ワタシの私見で言うと『スバルの夜』『槇き零年』と並ぶ傑作、山田映画ベスト3なのだ。
「メキシコの旅1982」 山崎幹夫 1982 8mm 30分★
 そういう観点からは、これは凡庸な「海外旅行スケッチ映画」に過ぎない。このようにして一応公開してしまったわけだが、ワタシの作品歴には入れていない。こうやってカップリング上映をして歴然とするのは、山田勇男は(出来不出来の振り幅の大きい)ナチュラルな天才であり、ワタシは努力したり、ギリギリ頭で考えて仕掛けを施してやっと人に喜ばれる映画をつくる人間だということだ。そう言えば少年野球をやっていた時も、ワタシはやたら当てるだけのヒットや、細かい守備プレイがうまいだけの人間だったしなあ。グスン。