チラシ裏文章

「『オブジェ感覚』抄」山田勇男
 いちどだけ、夢のなかにイナガキタルホが現われた。京都のタルホ亭で、僕とタルホが向い合っている。窓から光が射し込んで、薄色のついたシルエットになっている。タルホの葉巻の煙が揺れている。突然、こんな映画を作りたいとタルホが云った。すると目の前が真暗になり、上手の方から真ちゅうの歯車が、踊るように転がってきて、中央にピタリと止まるものだった。やっぱりタルホだなあ、と感心しているという夢だった。
 「稲垣足穂翁のかの文学的ミステリイ怪作『一千一秒物語』の映像化を我々の手でという大それた話が山田勇男と小生の間で盛り上がったのは、確か1976年の早春、行きつけの酒場「第三もっきりセンター」での酩酊状態の中であったと思う」とはじまり、「合言葉は真の幻想映画、そしてマニュフェストは“美しき稚けなき少年に捧ぐ”」と語る湊谷夢吉との出会いは、ともにタルホの熱病患者という単純なところの継がりからだった。
 そして、第一作『スバルの夜』がはじまり、第八作の『ボエオティアの山猫』を最后に僕らの共同作業であった銀河画報社映画倶楽部は、湊谷夢吉の死と共に自然消滅となった。
 早いもので1994年6月7日で七回忌になる。いまになって、プルーストのいうように「過去は将来と呼ばれているものの影を私の前に投じる」ことを知らされるのである。きっと僕らの映画はきららかな「オブジェ感覚」という、それは「抽象的断片」により多く心を惹かれていることが真意かも知れない。
 今でもタルホの文庫本をポケットから取り出し、傍点のように引用しながら僕の真実を求めている。「オブジェの気配」は、いまもって不可解であるがゆえに駆り立てるのである。虚空への期待かも知れない。
 あんなに湊谷夢吉とタルホや映画のことを話していながら、僕には依存した解釈しかなかったことを、今痛感している。

「銀河的夢想の展開」山崎幹夫
 山田勇男は『青き零年』を初めとする影の映画シリーズから変節してしまった、というのは間違った認識なのです。
 銀河画報社の制作した映画というのは、確かに監督は山田勇男なのだけれど、実際のところ、湊谷夢吉との共同作業の結果、編み出されたスタイルと言う方が正しいのです。プロレスのタッグプレイヤーみたいなもんですな。
 ところが湊谷夢吉は『魔都の群盲』『マルクウ兵器始末』『虹龍異聞』の3冊の漫画本(ともに北冬書房刊)を残して亡くなってしまった。そこでシングルプレイヤーとしての自立を余儀なくされた山田勇男が編み出したスタイルが、一連の影の映画である。これが正確な歴史の過程なのです。
 まあ、映画ってのはだいたいにおいて共同作業でつくるものだから、こんなことはよくある。今回上映の『家路』だって、最初は寺山修司とそっくりだと批判されたのだけれど、そもそも山田勇男は寺山のスタッフだったのだから、スタッフが似ている映画を作っても、これは真似とは言えない。話しが逆なのさ。
 4作品ともこれといったストーリーは語られず、だからこそ火、水、空、土といったエレメンタル(元素)のイメージがみずみずしく、豊かに映像化されています。これはやはり、北海道だからこそできた観念の美的展開だったのかなと思います。かつて、寺山によって、振り上げたマサカリ(下北半島)の上に広げられたハンカチーフと形容された北海道の地だったからこその夢想の爆発……。(文中敬称略)

山崎コメント
vol20 1994 6 オブジェ感覚
 6月は湊谷夢吉の亡くなった月なので、恒例の銀河画報社映画特集。
「海の床屋」 山田勇男 1980 8mm 30分
「家路」 山田勇男 1981 8mm 30分
「巻貝の扇」 山田勇男 1983 16mm 12分
「ボエオティアの山猫」 山田勇男 1987 16mm 15分