チラシ裏文章

(山田勇男)
 この映画で描こうとしたのは、「うしろ向きのエロティシズム」である。セルロイドの汽車の窓に見え隠れする、少年のお尻の香気である。いきなりではあるけれど、以前からずっと思い描くいっぽんの映画があった。それは「少年愛」における、たとえば寝顔にみるはなやかさである。本人が気付かず、されど十分に、にほやかな睫毛の震でもある。
 僕の映画の本質は、タルホの『A感覚』のエロティシズムの、そこにある「らちのあかないもの」、「どうしようもないもの」、「只それだけのもの」のみだらさの所有である。

(山崎幹夫)
 これから作るので何も解説できないのだけれど、与えられたテーマは《エロチック》。となればすぐに想起してしまうのはバタイユの「エロチシズムとは死にまで至る生の高揚である」というテーゼだけれど、これはあからさまに引用することはないにしても、制作中にアタマのなかを駆け巡ってしまうだろうと予測されるな。今、雑然と考えているのは、エロチックということには、時間(=死)と視ること、それから、遠くへ行く(=ここにはもう居たくない=自同律の不快=サルトル的嘔吐)というあたりかな。難しいこと書いているけれど、これは構想中ということでひとつ勘弁。仕上がったものはわかりやすくします。

山崎コメント
vol19 1994 5 エロチック
 ジャン・ジュネの『愛の詩』に山田・山崎の作品を1本ずつくっつけたプログラム。ワタシの方は新作初公開。
「愛の詩」 ジャン・ジュネ 1951 16mm 28分
 これはかつて寺山修司が気に入って購入してきた作品。天井桟敷館でのアングラ映画上映会で頻繁に上映されていたものだと記憶している。独房に収監された囚人どうしのホモセクシュアルな交流と夢想を描いたシネ・ポエム。大傑作というわけではないが、強力な抑圧のもとに発生するエロチシズムが丁寧に描かれている。
「衣裳哲学」 山田勇男 1993 8mm 20分
 池袋西武ロフトギャラリーで開催された「テラヤマワールド展」に出品された作品。その時はビデオでの映像展示だったので、ここできちんとフィルムで上映することにした。山田勇男の近作では珍しくドラマ的な展開のある映画。少年の尻を撮っているので、テーマ的に言うと少年愛モノということになる。
「100年後」 山崎幹夫 1994 8mm 56分★
 新作だけれど8割は過去のフィルムの引用。ドラマのNGテイク、OKテイクだが編集の段階で落としたもの、カメラテストフィルム、どこにも使用されなかった日記映像、予告編、そんなものが繋ぎ合わされ、最後に、いちばん最初に引用したフィルムで脱いでいた女性が「亡霊」として登場する。