チラシ裏文章
「夢のなかの景色」山田勇男
 関根博之さんの名を知ったのは、ぴあフェスティバルの入選作の紹介でみた、わずか2cm×3cmくらいのスチールで少年(たぶん本人)のゆっくり伸びた影の印象でだった。たしか『少年たちの夢』だったかな。そんなタイトルだった。それら、印象が、いつまでも残っていた。僕は北海道の札幌という町で、いつまでも忘れないでいる。あの恋ごころにも似て思い続けていた。昨年の四月から定期的に上映会をしているLa Cameraにも何度か足を運んでくれていた。いつだったか一度だけ、廃墟を撮った、静かにゆっくり漂う夢の景色を散歩しているみたいな感じの映像をみたが、いまも、同じような気持ちを呼び起こす。そう、それは想起する心象風景なんだ。いつも思い出せないでいるけど、何か漂う懐かしい印象のリズムを、また、ゆっくりみれると思うと、とても嬉しくなる。きっと、あれはやっぱりゆらゆら揺れて、僕の中の思い出せないでいる、あったはずの景色だったんだ。

「まなざしは宇宙をさまよい、迷い、舞酔う」山崎幹夫
 関根さんの廃墟映画をみていると、うっとりとしてくる。これは僕も廃墟大好き人間であるからなのだけれど、それだけではない。廃墟が大好きだからこそ、ダサく撮っている廃墟モノ映像をみているとイライラするものだ。
 で、関根さんの映像をみていて、なんて気持ちイイのだろと陶然としつつ、アタマの隅では「強制進行だけど、この3Dのなめらかなスクロールがいいんだよなァ」なんて思っている。そう、これはきっとやったことはないけれど、マックの『L−ZONE』とかメガCDの『夢見館の物語』みたいな世界なのだ。アドベンチャーゲームってやつですな。この2つのソフトは、いちおうゲームというジャンルに属しているけれど、CGによって設定された空間を自在に探索して楽しむ作品らしい。関根さんの作品は映画だから観客が操作することはできない。けれども映画だからすべて実写だし、1秒18コマの画面をなめらかに動かすことができる分だけ勝っている。
 いやいや、同じ映像作品とはいえ、映画とコンピューターソフトを結び付けて論じるのはちと強引かな。でも、そう遠くない将来、任天堂から「操作できる映画」として関根さんの廃墟モノのソフトがリリースされないとも限らない。
 廃墟というのは、かつてそこで人々が働いたり生活したりしていたけれど、それが現在は放棄されてしまった場所のことだ。そこには人々の生活の痕跡が残っていて、それはゆっくりと自然に飲み込まれて消え去ろうとしている。この上映会タイトルをには、そんな意味が込められている。
 廃墟にいると、過去にこの場所にいた人々の記憶が、自分の中に堆積している個人の記憶とゆるやかに呼び合い、融合していくような気分になる。愛も叫びも祈りもここにはない。物語はもう終わっている。でもそれは、言い換えればまだ物語が始まっていないということでもある。
 あらゆる物語からニュートラルな場所、それが廃墟なのだ。このことはタルコフスキーの『ストーカー』『ノスタルジア』、手前味噌になるが山本政志の『ロビンソンの庭』を観ていただければおわかりのことだろう。
 関根さんの映画は、8ミリのフットワークを存分に生かして、これらの35ミリ映画が裸足で逃げ出すほどの美しい光を廃墟から摘み取っている。

山崎コメント
vol18 1994 4 記憶の棲む場所
 関根博之の初期作品2本と廃墟モノ2本をカップリングしたプログラム。
「エチュード」 関根博之 1978 8mm 13分
「フェード」 関根博之 1982 8mm  7分
「大久保の廃墟」 関根博之 1989 8mm 12分
「六本木の廃墟」 関根博之 1992 8mm 55分
 廃墟を舞台にした映画や、廃墟を撮影した写真集はいろいろあるけれど、廃墟そのものをテーマとし、その空間や遺留されたブツをただ撮影するだけでなく、漂う残留思念のようなものまで取り込んだ映画というのはない。たぶん。とりわけ『六本木の廃墟』は「廃墟映画の金字塔」とか「神の映画」と形容されているが、なるほどこれは超越的な映画である。六本木にあるもとフィリピン大使館だった廃墟。映画は最初から最後までその廃墟の中をさまようだけ。それで55分がじゅうぶんに持ってしまう。そればかりか、ワタシは「もっともっと、ずっと観ていたい」と思う。廃墟は物語がすでに終わってしまった場所だ。静謐な時間だけが流れている。溶けずにいるいくつかの記憶の断片が、無残なありさまで投げ出されている。物語じたいは終わっているから、そこからエモーションが発せられてくることはない。どの記憶も、ただ穏やかな顔をしてそこにうずくまっている。だがその空間は、何か不可思議な、とてつもないエネルギーを孕んでいる。廃墟の地下で出会った猫のミイラも、再撮影で取り込まれる南方の島の古い記録映画も、ただそこに遺棄され、侵入した関根カメラが出会ったという、ただそれだけなのに、何かとてつもないエネルギーでもってワレワレに迫ってくる。スクリーンを揺るがして立ち上がろうとしているようにも感じる。何が? 新しい物語? まさか!