チラシ裏文章
「『往復。』雑感」山田勇男
 駄目だね。東京病とでも云うのかな。何かさあ、テレビをみてたら雪が降ってんの。そうかあ、北国じゃそうだよなあって独り言。晩秋のスローダウンだよ。そう、川端康成の短篇に『冬近し』っていうのがあってさ、

 僕は冬が近くなると神に祈る気持ちに同情が持てて来ますね。つつましやかな気持ちでなくて弱々しい気持ちです。唯一つ神の事ばかりを思いつめて、その日その日の糧を授かるような生活が出来るなら幸福だと思う。一日一椀の粥でもいい。

 同感だね。特に足が冷たくなり出すとさ。
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 山崎君と往復をはじめて、足掛け9年になるんだね。はじめ、僕が札幌で山崎君が東京だった。今じゃ、合うことの方が多くなった。ところが、写し出される風景は、意外と東京じゃなくなってくる。
 それだけじゃなく、それぞれの背景の時間が、それぞれの意味が途切れていく気がしているのは僕だけかな? そうかも知れない。
 『往復。』のさなか、僕は初の35mm映画のゆくえに戸惑いながら、札幌と東京を繰り返していた。その后、東京にこんなに長く住んでいるのもはじめてでね。何かしら落ち着かなく、心もフラリフラリ。思考回路が感覚そのものだし、ムードでぽつんといると、どうも山崎君に対するコミュニケーションというより、内省的な僕の語りだけになっているようだね。こりゃ大人げない。このままでいくと、いつまでたっても子供みたいな気になってくる。
 しかし、山崎君もまた、初の35mm映画『プ』をかゝえはじめたのが『往復。』の中盤あたりからだね。こうしてみるとさ、フィルムレターって、普通の手紙とちがって、常に写し出された向う側の風景の中に僕らが重なって存在していたんだよね。そして、その風景の中に溶け込んでいくのが気持ち良かった、と思う。じゃ、また。

「猫は光に向かって微笑む」山崎幹夫
 8ミリフィルムの余命はあとどれくらいだろう。そんなことを横目でにらみながら続けてきた『往復』も、ついに第三作目となりました。
 統一コンセプトも、期限も長さも決めずに、ただ「いずれ作品として公開する」ことだけを了解事項として、のんびりとフィルムを交わし続けてきました。お互いあまり力まずにやってきたことが、ここまでたどりついた秘訣かもしれません。足かけ9年。平均すると3年に一本というペース。このくらいがちょうどいいのかもしれません。
 窓の外で野良猫が日向ぼっこしています。猫は陽光に向けてちょっとあごを上げ、目を閉じて気持ちよさそうな表情です。ああ、僕らが『往復』を通じてフィルムに捕らえてきた光とは、こんなふうな感触なんだろうか、と思いました。
 あせることもあり、いらだつこともありました。街にはね飛ばされ、時代に踏みつけられ、それでも動き出すことのできない自分をもどかしく思うこともありました。街に出てみたものの、ひとコマも撮れずにすごすごと帰ることもありました。
 そんなギスギスした日常のすきまでキラキラしている光。それを8ミリカメラにおさめてきて、こっそり見せ合っている。『往復』は僕にとってそんな場になってきたようです。山田さんと僕とで作った「秘密基地」と言ってもいいでしょう。
 ふたたびみたびと出撃しては、また帰ってくる秘密基地。獲物をくわえて得意顔で帰ってくることもあれば、現実の壁に頭をぶつけてしょぼくれて帰ってくることもあります。もはや二度と会えない人の思いを胸にいっぱい抱えて帰ることもありました。
 でもこの場に帰れば、僕は背筋を伸ばし、微笑んで光を見ていたい。叫びも祈りもつぶやきも、すべてが溶けこんだ、どこか不思議となつかしい光。そこが『往復』の終点であると同時に、起点でもある。そんな気がします。

山崎コメント
vol15 1994 1  フィルムレター・往復
 ワタシと山田さんによる8mm映像書簡である『往復』シリーズの最新作『往復。』が完成したために組んだプログラム。そもそもは1985年のこと、山田さんが『青き零年』でみずから8mmカメラを手にして作品製作を始め、一方、東京へと戻ったワタシも、それまでの集団製作から個人映画へと移行していた。そこで当時北海道立近代美術館の学芸員をしていた正木基さん(現在は目黒区美術館)が「僕がフィルム代は出してあげるから」の一言で始まった企画なのだ。この『。』完成時にもワレワレはちゃっかり正木さんにフィルム代を請求に行った。正木さんは「なんだ、まだ続いてるのか」と言いつつも、しっかり「で、いくら渡せばいいの」とプロデューサーの役目は果たしてくれたのだった。
「往復」 山田&山崎 1986 8mm 40分
「往復」 山田&山崎 1989 8mm 90分
「往復。」 山田&山崎 1993 8mm 75分★
 こういう映画の先行する作品として、かわなか&萩原『映像書簡』や、寺山&谷川『ビデオレター』がある。が、どちらも8mmではない。ワレワレは8mmでやっていることで、それら先行作品よりもよりパーソナルな、私信に近い感触を出せているのではないかと思っている。山田さんとはよく「先に死んだ方が寺山ということで」なんていう冗談を言っているが、実際のところは8mmフィルムの方が先に「死ぬ」のではないかと恐れている。