8mmフィルムを「自家現像」する(2005年版にて改訂)
末岡一郎

 写真家の多くは、その作品制作の過程に於いて、撮影と同様に、現像・焼付けといったラボ・ワーク(暗室作業)を重視している。これは、写真作品のルックス(外見)が、ラボ・ワークで左右されることを認識しているからだ。つまり、ラボ・ワークとは単なる技術・技法レヴェルの話ではなく、実際に作品の内容を決定する重要な表現上の問題なのだ。では、似たような素材=「フィルム」を扱っている映像作家=フィルムメーカーはどうなのであろうか? 映画は「映像」である以上、見た目=「ルックス」の印象から逃れることはできない。ということはそのルックスを決定してしまうラボ・ワークにも、映像作家としての責任が要求される、と言えるのではないだろうか? 少なくとも、「作家性」の一要素を担っているのは事実であろう。

 ところで、8mmフィルム(以下8mm)も写真乳剤(感光乳剤)を用いている以上、その現像過程は写真のそれと基本的には変わらない。つまり、やろうと思えば写真の現像液で8mmは(さらには16mm、35mmのシネ・フィルムも同様に)現像処理ができる。そこで、ここではシネ・フィルムの自家現像について記してみたい。
 まず、現像作業についてだが、特に写真の現像・焼付けを経験したことがある人ならば実感できると思うが、多少、温度や時間に気を配らなければならない事を除けば、現像作業は意外と簡単だ。(それこそ現像キットのマニュアル通り作業を進めれば、ほとんど失敗しない。仮に失敗しても、それが予想外のイメージを現してくれることに気づくだろう。)
 次に、現像の原理を簡単にまとめてみたい。ここではカラー・リヴァーサル(反転)・フィルムを例にとる(ちょうど8mmがそうだ。)と次のようになる。

 1.第一現像→白黒ネガ像を作る。
 2.反転・第二現像→白黒ポジ像を作った後にポジ像の周辺の色素(カプラー)を発色させる。
 3.漂白定着→余分な白黒像を漂白し、カラー色素を定着させる。

これに水洗や乾燥を加えて作業終了なのだが、ここで注目したいのが1番のところだ。カラー・フィルムといえども、まず「白黒ネガ」を作り、その後に発色させる、ということだ。これは逆に考えると、仮にカラー・フィルムで白黒に仕上げたい、と思った時、それは実現可能なのだ。また、これを展開させて、ポジフィルムをネガに仕上げる、あるいはその逆を行うことも十分可能だ。そして、それらは市販の各種フィルム現像キットを流用すればいいだけのことなのである。

 そこで、次に具体的に現像手順を紹介したい。
 現在入手が可能な現像液の一つとして、写真用のE−6カラー反転現像液キット、「テテナール写真工業製・コンパクトライン、カラーキットスライドフィルム」(近代インターナショナル輸入・販売*)がある。この現像液で処理できるフィルムは、フジフィルム社製のシングル8とコダック社製エクタクローム7240。これらのフィルムは乳剤に色素を含有している「内式」と呼ばれるカラー・リヴァーサル・フィルムだ。(ちなみに、コダック社製コダクロームは「外式」(色を後染めする処理)のため、自家処理はほぼ不可能。ただし、白黒(ポジでもネガでも)に仕上げることは可能。)

 この他、必要な用具を列記すると、ダークバック、現像タンク、空スプール(50ft)、写真用スポンジ、温度計、漏斗、タイマー、恒温パッド、処理液用ボトル、水洗用パッド、乾燥用ワイヤー、クリップ、ゴム手袋、ハサミ、といったもので通常の写真の暗室道具とあまり変わらない。暗室については、フィルムを現像タンクに移すときに必要だが、ダークバック内でも十分作業ができるので、あまり必要ではない。また、処理液ボトルなどは、普通のペットボトル(2L)で十分である。尚、現像タンクは写真用の35mmフィルム・4本を現像できる深めのステンレスボトルが必須である。(8mm一本分の容量に最適。)

 次に作業手順を示す。
 1.各処理液の作成と保温。(キットの手順書に従う)。
 2.現像タンクに水を入れ、ドライウェル(水洗促進剤/フジフィルム製)を適量加える。これは前水洗(乳剤を均等に濡らすため)として用意する。
 3.ダークバック、または暗室内で、撮影済みのフィルムを、水が入ったままの現像タンクに静かに移す。その後、適当に攪拌し、水は捨てる。
 4.現像キットの手順に従い、第一現像から順番通りに処理を進める。(あらゆる現像処理に共通するが、現像結果を大きく左右するプロセスは第一現像であり、ここで画像の濃度や色調等、ルックスに関わる要素が決定される。ここだけは慎重に!)
 5.定着、安定処理後の最終水洗の時、フィルムベース面に残っている反射防止膜(黒い墨のようなもの)を擦り落とす。
 6.水洗後、ドライウェル入りの水に5分ほど浸ける。このとき、水中で予めスプールに巻き取る。
 7.その後、良く水を切ったスポンジでフィルムをはさみながら取り出す。
 8.乾燥はワイヤーに引っかけて自然乾燥させる。ドライウェル越しなので、15分程で終了する。
 9.スプールに巻き取り終了。

 シネ・フィルム現像の作業上の問題点は、なんと言っても「細長い」ひも状のフィルムの取り扱いであろう。ここでは、些か乱暴に現像タンクへとフィルムを流し込む方法を紹介したのだが、前水洗処理をすることと、撹拌を静かに行うことで、かなりきれいに仕上げることができ、かつもっとも簡単な方法でもある。しかしながら、フィルム上の多少のキズは避けられないし、フィルムを巻き取る手間も少々煩雑である。発色に関しても少々バランスがズレている。(経験的に言うと、テテナールではグリーンが強い。しかしその分、緑の風景は実にコクのある深い色をだす。)だが、考えて見ると、つい先ほど撮影したフィルムが、ほんの1−2時間ほどで鑑賞でき、さらには独自の色合いを伴っているのはやはり魅力ではないだろうか。
 さてここで、別の問題点を上げてみたい。「音」である。現在、フジカラーサービスは、サウンド・トラック用のマグネ・コーティング・サービスをフィルム現像時のオプションにしている。つまり、自家現像した場合、コーティングはしてもらえないと言うことだ。とても大きな問題であるが、これは考えようによっては、作品をサイレントとする、または音声をテープで別途用意する、あるいは完パケをビデオにするといった対応が現実的な解法といえるかもしれない。そういう意味では表現上の問題以上に、制度的問題が作品に制約を与えているのが現状である。

 しかしながら、それを制限と見なすか、あるいは「創造の糧」とするかは私たちの態度次第であろう。

 マーシャル・マクルーハンにならい、メディアそれ自身がメッセージであるならば、「映画」がフィルムを選択したことによって、「映画の文法」自身も「フィルム・システム」の「文法」に従うものとなったといえるだろう。つまり、我々が知る「映画」とは、(結果的に)フィルム・テクノロジーの所産によるものだった、と言い換えることができる。このことは逆に、私たちにフィルム・メディアのさらなる可能性の追求を示唆しているように思う。自由と制約は常に隣り合わせに在るのだから。

参考作品
マン・レイ『理性へ帰る』(1923) レイヨグラム
スタン・ブラッケージ『DOG,STAR,MAN』(1959-64)
ユルゲン・レープレ『PASSION』(1993)
能登勝『無題』(1979-88)シリーズ
奥山順市『浸透画』(1994)
末岡一郎『アジス・シャカール職探し』(1999)

参考文献
写真の化学 写真工業出版社
写真処方便覧 写真工業出版社
写真処理 共立出版
小型映画の知識 創元社
『自家現像と僕〜17フィートごとの挑戦〜 』能登勝 “F’s(エフズ)”1994年3号

脚注
* (株)近代インターナショナルの詳細は以下へ
http://www.kindai-inc.co.jp/index.php

末岡一郎
1965年生まれ。フィルム・メーカー、キュレイタ。映像研究会「キノ・バラージュ」主催。
VIPER2003(スイス)で"Studies for SERENE VELOCITY"(03)が大賞受賞。"I am lost to the world"(03)はロンドン国際映画祭、香港国際映画祭等で招待される。海外・国内での上映多数。また、主に海外の映画祭・上映組織に向けて日本の映像作品を紹介している。主な作品:「不在の扉」1992、「T:O:U:C:H:O:F:E:V:I:L」2003、「冬のベルリン」2003、「曖昧な葬儀」2004

8ミリフィルムの膜面には美しい光の庭がある                 

宮田靖子

 今日もごはんを作っている。今日も茶碗を洗っている。たくさんの“いってらっしゃい”とたくさんの“お帰りなさ〜い”。窓の外のいつもの景色、今日一日のこの季節の光線が東から西へと移ってゆく。一本の木になった気分で定点観測。洗濯物から立ち上る蒸気、この光はどこから射し込んでくるのだろう、流しのステンレスに零れた水滴、青い光の粒がぷるぷる震えている。ブンブン回りながらフリッカー映写している換気扇、ガラスに映った私の顔、窓の外の風景とオーバーラップしている。不意に口をついて出てくる浅川マキの「裏窓」“・・・3年前はまぁ〜だ若かった・・・”。ハイ!3分間フィルム一本できあがり!!のはずだったのに、いざカメラを据えファインダーを覗いてみると様々な難儀が。距離が足りない光量が足りない構図が今いち決まらない。現像が上がってくると更に困難が。思惑とお気に入りとこだわりがつながらない、色気と誘惑で構成が今いちまとまらない。製作ノートを開くと書き散らかしたコンテ、意味が分からない。そして、となりのページにはパーソナルフォーカスの進行日程表が・・・・。
 某月某日、自作は一気に仕上げる→某月某日、締め切り→チラシを作る→某日、印刷入れ→の間にプログラム決定→情宣しながらプログラム原稿作成→某月某日、印刷入れ→の間にフィルムをつなぐ→前日試写→某月某日、本番。これは、極スムーズに進んだ理想的な場合。現実には順序は入り乱れ全体的に後押しでどれもこれもトホホの同時進行状態。終いには、頭髪逆立ちもうはげそう→自販機の前でカップ酒をクーッと一気飲みしたい→様々な映写トラブルが夢の中に現れる→悪いクスリでも注射したい→自分の罠にはまった気分→我が身を叱咤激励→色んな人の様々な助力を得て何とか本番。ところが本番、最後のフィルムがリールに巻き取られると→何とも言えぬ清々しさと昂揚感→ありきたりだけどやっぱり8ミリっていいなぁ →8ミリの女神さまに感謝→パ ァーッと打ち上げ、という次第。これが1978年から不定期ながら20回近く続いてきたパーソナルフォーカスの原動力なのかな。無審査・自由参加なので当然、面白いものもあれば退屈極まりないものもある。しかしそれぞれの3分間の中に、8ミリフィルムのもつ美点が鮮やかにあるいはしみじみと表れている。作り始めたばかりの人の、8ミリフィルムというメディアとの距離を探っているような感じ、長年撮り続けている人の、その人らしさと意外な一面。誰のものでもない<わたくし>のイマジネーション、夢想と叙情がカメラのレンズを通してフィルムに印されている。そしてその光は、映写機のレンズから、観る<わたくし>のイマジネーション、夢想と叙情に記される。誰のものでもないものが、誰のものでもあり得る。”もっともパーソナルなものがもっとも普遍的である”というジョナス・メカスの発言に全く賛成。おまけに、その時代が求めかつ放つ全体的なムードもうっすらと嗅ぎとることができる。そして何よりこの企画に対する出品者のひかえめなる共感。中年主婦とは思えない友人知人を得ることになった。これは生涯の宝、間違いない。
 8ミリの伝道者としての立場からすれば、こんなに面白いことがやれるのに何故8ミリフィルムを瀕死の状態に追い立てるのだろう、役に立たないというだけで。私自身“延命行為”と言い続けた時期もあったけれどあれから10余年、その間に作られた珠玉の作品は数多あるし、その間に作り始めた人も多勢いる。ひとつのメディアが絶滅するということがどれ程犯罪的行為に等しいか。ひとり憤る。しかしながらかだからこそか、今だに”なぜ8ミリなのですか?”とおそらく無垢な質問を、散々うんざりする程受ける。
 8ミリの愛好者としての立場からすれば“そこにあるから”としか未だ答えることができない。一体全体、詩人やアーティストたちは“なぜ小説ではなく詩なのですか?”“なぜ太鼓でなくチェロなのですか?”などと不毛で陳腐な質問をされ続けるのだろうか。絵筆を握った、と同じように私は8ミリカメラを持った。そして止める理由もないままに撮り続けている。慣れ親しんできたはずなのに、今もシャッターを押すときはドキドキする。無言のカメラに“いきますばい”と声をかける。私(私と指先)と撮されるもの(被写体と光と空気)と8ミリ(カメラとフィルム)の即興演奏。1コマずつ置いてゆく光や流れるような光が、フィルムの膜面に、カメラの網膜に印されてゆく。指先の震えも、呼吸の乱れも、微細な心の動きも、リアルに印されてゆく。私はいつも初心者のままだ。そしてワクワクしながらラッシュフィルムを観る。思惑とお気に入りとこだわりがごちゃまぜ状態のままに、美しい光の粒子が膜面上に踊っている。腕組みし、反省と後悔先に立たずと戒めながら、フィルムを切り、貼り、つないでゆく。<わたくし>のイマジネーション、夢想と叙情が形になってゆくプロセスを、手の作業を用意しておいてくれる。よきかな、この配慮。夢想や思索の道具でありながらオモチャのようでもあり、責め苦の時もあれば作業療法でもあり、元気の素だったり救われたり、独り遊びのようでありかつ世界への触手でもあったり、と私と8ミリの関係はまだまだ続くよどこまでも。これからも益々欲深に志高く、毎回少しの冒険を試み、その都度新しい発見に出会い、叙情に流されず、さりとて原理追求に走りすぎず、願わくば爽やかで可笑しみのあるフィルム、そういうフィルムを私は作りたい。まずは、
日々是妄想。

宮田靖子(みやたやすこ)
1956年、熊本市生まれ。1976年、初めての8ミリ作品「瀬田からの便り」を作る。1977年、学業はおろそかに福岡市の映像作家集団<フィルム・メーカーズ・フィールド>の活動に参画.。1983年、FMFの同志福間良夫と結婚、長男・映郎(あきお)誕生。1989年、長女・ののこ誕生。1998年,2児の乳母を務めた愛猫ジョリ19歳にて死去。今やFMFの守護神となる。現在まで、主婦/FMFシネマテークディレクター/8ミリフィルムメーカーを際どく続けている。主な作品は3分間猫映画、3分間ホームムービー、Filmy Filmシリーズ等々。