□またね〜終幕 2003.6.1

あまりの忙しさに更新できなかったので突然だけど、「震災から。」の公演が終了した。
したがって、約2ヶ月にわたって暇を見つけて書いていた稽古場日誌も、今日が最後になる。
舞台の稽古期間は長い。短くても1ヶ月、長ければ3ヶ月も4ヶ月も、稽古に時間を費やすことになる。特に本番前の10日くらいは、朝から晩まで稽古。仕事も休んで、1日のほとんどを稽古場で過ごすのだ。
そうなると、家族よりも公演のメンバーと会っている時間が長い。仲良くなろうとか、ならないとか、そんなこと考えなくても、否応なしに近しい仲になっていくものだ。

最後の舞台が終わると、一斉にバラシが始まる。今まで、華やかな照明があたっていた舞台は、ものの1,2時間で片付けられ、殺風景なただの箱になる。役者はメークを落とし、普段着に着替え、2ヶ月間付き合ってきた役に別れを告げる。わたしは、ただひたすらホッとして、肩の荷をおろす。
全て片付けが終わり、5日間通った劇場を後にして、打上げ開場に向かった。
打上げは1次会、2次会、3次会と続き、その間に一人、また一人と人数が減っていく。
いつの間にか、稽古場での会話は、ほとんど全員関西弁になっていた。それが合っていても、間違っていても、何となくみんな関西弁で、この稽古場ではそれが普通だった。みんなで、「もう、標準語使おうや」「それ、標準語ちゃうで」「お前もやんけー」なんて言い合って、本当に関西弁が抜けなくて、それがまるで別れを惜しんでるようにも聞こえる。
3次会のカラオケ。残ったのは、ふーちゃん、わたる、みょうさん、けーちゃん、みず、けいた君、そしてなぜかわたし。すべて終わって、こんなふうにみんなと関わると、みんなの少し違う一面が見れるような気がする。よく考えてみれば、みんなわたしより5つも6つも年下。普段、年下の人に対してあまり年齢差を感じないタイプ(わたしがそう思っているだけで、下の人たちは感じてるのかな?)だけど、ふと、みんなの緊張が解けて無邪気にはしゃいている姿を見て「そっか、まだ若いんだったな」、なんて思ったりした。きっと、稽古場での真摯な姿勢が、年齢より彼らを大人びて見せていたのだろう。
けいた君の「ギンギラギンにさりげなく」。マッチの物真似がうまくて、みんなお腹を抱えて笑っている。けーちゃんのジュディマリがかわいい。みずが「亜麻色の髪の乙女」を歌った。みずが歌うのは、とっても珍しいことらしい。ふーちゃんの「真夏の果実」は聞き惚れてしまう。みょうさんのUAは、雰囲気に合ってていい。ラストはわたるの「ワインレッドの心」。なかなか、締まらない曲ですごい。
カラオケを出ると、もう朝5時半で太陽の光が目に痛かった。みんな重い荷物と疲れた体をひきずって駅に向かう。乗る電車が違うので、駅構内で2グループに別れる。お互いに、長い間「それじゃ、また」と言いながら、なかなかその場を立ち去らない。
どんな公演に関わっていても、この時だけは、いつも本当に寂しい。そして、どんなに大変だったとしても、心から「やっぱ楽しかったなあ」と思えてしまう瞬間。
わたる、ふーちゃん、けいた君の3人は、短い期間ながら気が合ったようで、この場でふーちゃんと別れることになるけいた君は、少し駆け寄って握手をしていた。2,3言、言葉を交わして別れたけいた君は「センチな気分になってもうた」と、ボソッと言った。
同じ改札をくぐったわたし、わたる、けいた君の3人。乗る電車が違うので、ここで、けいた君はお別れだ。わたしは「ばいばい」とか「さよなら」じゃなくて、「またね」と言って手を振った。けいた君は最後まで礼儀正しい。「ありがとうございました」とわたしに頭を下げる。わたるには「ほな、今度合コンしようや」なんて軽口を叩いて、手を振って別れた。
わたしとわたるは駅が隣なので、同じ電車に乗った。上りの電車は早くも通勤の人たちで賑わっている。下り電車のわたしたちの車両には、わたしたち2人しか乗っていなかった。わたるのことは、この舞台の稽古に入る前から、少し知っていたし、共通の知り合いが多かったりするので、そんなに別れを惜しむこともないだろう。だけど、もう、こんなふうに同じ稽古場で、同じ目標を持って日常を過ごすことはないかもしれない。そんなふうに思った。一つの舞台で関わり合う人たちの関係というのは、それだけ短くて深い。
わたしが降りる駅に着いた。「またどっかで、近々会いそうやね」とわたしが言うと、「うん、俺もそう思う」わたるが言う。「じゃ」と短い挨拶をすると、電車の扉が閉じた。


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