雌鉾岳「美しいトラバース]
1990年5月


雌鉾の美しい「トラバースルート」を散歩?する”Mさん改めYさん”

Mさんとの付き合いは、僕が20くらいのころ、
11月後半の連休で滝谷を登るべく新穂高へのタクシーにアイノリしたことに始まります。
この時は、数パーティ滝谷に入っていましたが、4尾根を上まで抜けたのは、
ソロで登っていったMさんだけだったのではないかと思います。
「雄滝では、氷を踏み抜いて、片足を突っ込んだりして、大変だった」ことは、
岳人クラブ入会後聞いた話です。

関西クライマースクラブが解散して、入会案内の希望を出した時、返事をくれたのがMさんでした。
「山登りを好きな連中のクラブだから、極力拘束的な条件を求めず、
やる気のある人間が自由に登りに行ける環境にしたい」
みたいなことを書いていたように記憶しています。

入会後、初めて共にした山行は、11月上旬の八峰。
偵察と食料デポが目的だったのですが、黒部ダムに着くや否や走り出すでは、ありませんか。
負けじと、後ろを追いかけるも、Mさんは、運動靴で、僕はプラブーツ・・・。
へろへろになりながら、「アプローチは、トレーニングか・・・」などと妙に関心したものです。

次にロープを結んだのは、甲斐駒の坊主の東壁から赤石沢奥壁への継続。
Mさんが選んだ奥壁へのアプローチは黄れん谷の右俣。
僕にとって3回目(六甲の西山谷、比良の貫井谷)の沢登りは、
エイドギア満載の重荷でノーロープと、なかなか緊張感のあるものでした。


写真は、クラブの合宿?でいった宮崎でのショット。
優秀なソロクライマーだったMさんも、
結婚後はクライミングから遠ざかりランの栽培?に情熱を注いでいるのこと。

僕自身20台半ばでしばらくソロに走ったのは、Mさんの影響が大きかった気がします。

2005年4月23日 記