鹿島北峰にて我輩
80年代半ば、蒼氷の若手の記録は、刺激的なものだった。
中でも、”ロングトレインランニン”と題した、黒部の継続。
その前衛戦?として行われた鹿島でのスピード登攀。
ほぼ同世代なのに、レベルの差に愕然としたものである。
初めてのソロは、86年クリスマス前の滝谷だった。
雄滝を越えたところで、降雪にめげて敗退。
気持ちを切り替えて、年末にはやはり独りで北鎌尾根に向かった。
独標では、順番待ちがもどかしく横からソロで追い抜いたら、
「あんな奴が遭難するんだ」と聞こえよがしに嫌味を言われた。
そのパーティは、真っ暗になってからヘッドランプを頼りに槍の穂先を越えて肩の小屋に入ってきた。
どちらが安全だったのだろうか?
しかし軟弱にも快適な冬季小屋に入ってしまった。
翌日の強風の中、稜線を縦走する気になれず、結局槍平に下山した。
そして、87年3月独り鹿島槍を目指した。
右手にシャッカル、左手には、キノコ雪に備えて60cmのカジタのピッケルをもった。
緊張のせいか、天狗の鼻ではあまり眠れなかったように思う。
人の声で、ふっと目が覚めると見事に寝坊してしまった。
ロープ2本にアブミを含む登攀具一式を背負い、コルからトラバースを始める。
目指す中央ルンゼには、すでに数パーティ向かっていた。
少し迷うが、主稜に転進しようと戻りかけるが、こちらも取り付きあたりで順番待ちをしている。
仕方がないので、正面ルンゼに向かうことにする。
トレースはあるが人影はすでになし。
正面尾根に飛び出したところで先行パーティに追いついた。
少し休憩して頂上を目指す。
1時間半か2時間ほどだったか。
蒼氷の連中は50分で登ったらしい。
いろいろ失敗のあった山行でしたが、自分なりに満足できたと記憶しています。
自分のレベルを上げることに必死だったころの懐かしい山行です。