Alps--やっぱ冬のウォ−カ−っしょ--

 21Dec.〜 11Jan.1996


レショ小屋付近よりグランドジョラス北壁

プロローグ
ひょんなことから、97年の夏にK2に行くことになった。行く限りは、登りたいし、できたら直前に高所にも行っておきたかった。
正月前後なら、少し休めそうだし、当初アコンカグアを考えたが、相棒のナカジマはんは、以前南壁を登っているしなあ・・・。
じゃあ、ということでクスムカングルーの北稜にしようということで、ネパール行きを決意する。
しかしながら、正月前後のカトマンズ行きのチケットは、そう簡単にとれないのである。ぎりぎりまで粘ったけれど、結局断念。
最終的に高さは、ないものの二人共通の目標でもある、グランドジョラスに行くことにする。
そう、暗く、寒い、あの北壁へ。

12月21日

関空発、12時30分
チューリッヒ着 17時すぎ

直行便といえど、ヨーロッパは遠い。
降り立ったチューリッヒの街は、すでに暗く、どんよりと曇っていた。
シャモニ行きにチケットを買い、この日は、チューリッヒのホテル泊のする。
う〜ん。スイスは、やはり物価が高い。

チューリッヒ→シャモニ 105SF

12月22日 雨のち曇り 

06:00発 チューリッヒHBX 
08:25着 ローザンヌ
08:32発
09:24着 マルティニ
09:28発
10:59着 シャモニ

時差のせいか寝付けぬ夜であった。
夜中に振り出した雨も出発のことには、小雨になっていた。
車窓からドリュ

昼前にどんよりと曇ったシャモニの到着。
ドリュの姿が見れたが、雪はそれほどでもないよう。
それにしても暖かい。
早速スネルスポーツに立ち寄るが、神田さん曰く
「フェーン現象のため、今はかなり暖かい。イタリア側では雪が降り続いており、
フェーンが去れば2,3日降り続いて、晴天周期が訪れるだろうとのこと。」

しばらくお世話になる、SKI STATIONに向かい、荷物を片付ける。
どこかで見たような日本人がいると思えば、小学校のときの同級生だった。
こちらに住む知人を訪ねるついでにスキーを楽しんでるとのこと。

12月23日 曇り時々雨

午前中は、部屋でギアの整理をし、午後教会近くのスキー場に行く。
つまらないスキー場だった。
それにしても登山靴でのスキーは難しい。
天気もいまひとつだし、神田さんに乗せられるまま、兼用靴を買ってしまった。
韓国人の2人連れがくる。

ガイド組合に忍び込むサンタさん?

12月24日 晴れのち曇り

3時頃に目があいたので、外に出てみる。星は出ているのだが暖かい。
9時のバスでプラへ向かい、午前中は、フレジェールでスキーを楽しむ。
帰路、ロジエールのキャンプ場に立ち寄り、日本人倉庫にデポしている食器類を取りに行くがしまっている。
まあ、冬にキャンプするやつもいないということか。
プラの教会からドリュ ロジエールキャンプ場

ガイド組合で、ルートの情報や天気予報を見るが、あまりよろしくない・・・。
パートナーのナカジマはんも風邪を引いたようだ。
なんとも、さえないクリスマスイブ=誕生日となった。
韓国人の2人連れは、去り日本人が1人同室となる。

12月25日 雪のち曇り

少し寒くなった。イタリア側を見に行こうと、クールマイユールまでのヒッチを試みるが失敗。
ジョラスに行くための5泊+α分の食料、燃料を買出しをして、宿にもどる。
イタリア側から来た人の話のよると、向こう側も、ずっと雪だったとのこと。
神田さんのいう、「フェーンの後の晴天」は来るのだろうか・・・。

12月26日 小雪のち晴れ

小雪は、待っているものの、上空は抜けているようなので、予定とおり1人で、レショ小屋まで食料に荷上げと偵察に行くことにする。
10時シャモニ発、モンタンベールへ。
軟弱にもテレキャビンに乗って、メールドグラス氷河に降りたつ。
モンタンベールよりドリュ シャルプア側を見上げる

11時20分 つぼ足で歩きはじめる。
途中からスキーを履き、16時50分、レショ小屋着。
グランドジョラス北壁全景 レショ小屋からジョラス

心なしか、壁は白く、ランスールも所々、ブラックアイスなのか、灰色っぽい部分が目立つ。
小屋の中は、快適で非常食や、無線まで完備されている。
今夜の宿泊客は、もちろん僕一人だが。

12月27日 曇り

朝小屋を出ようとすると、なんと冬用の扉が開かない・・・。
夜の間に雪が降ったか、風で吹き黙ったか・・・。
扉は、外開きではなく内開きにしてもらいたいものだ。
1時間半かけて、なんとか扉を開き下山を開始する。
レショ小屋 9時30分発
モンタンベール着 11時30分
モンタンベール駅 SKI STATIONにて

SKI STATIONに戻ると、ナカジマはんもだいぶ元気になっていた。

ドリュ シャモニ針峰群

12月28日 晴れ

高所順応とナカジマはんの足慣らしを兼ねて、コスミック山稜に行くことにする。
午後ミディのロープウェイに乗り、シモン小屋へ。

12月29日 曇り

体調と今後の予定を考えて、コスミック山稜はあきらめ、ロープウェイ駅に登り返す。
午後は、宿でシャワーを浴びてのんびりすごす。
日程がせまってきたこともあり、目標をウォーカーからランスールに変更することにする。

ギア一式 ミディよりドリュ〜ベルト

12月30日 曇り

スネルにて8.3mm×60mロープを2本とアイススクリューを買い足す。
神田さんにカフェオレをおごってもらい、談笑する。
最近は、冬のアルプスを目指す日本人は少なくなったとのこと。
でてくる名前も知った人ばかりだ。
また、冬の北壁を目指すなら、日が長くなり、天候も安定する3月を薦められる。
ガイド組合でも、「今のランスールは薦められない」ということで、
日帰りで楽しめる、タキュールのシャレグロットを薦められる。

12月31日 雪

天気もいまひとつなので、レショ行きを1日延ばすことにする。
グランモンテにスキーに行くが、風力20m、気温ー23度と強烈だ。
去り行く96年を惜しもうと外食に出かけるが、すべて「コンプレ!」と断られた。
大晦日もまた、さみしく更けていった。

1月1日 曇り

10時発のモンタンベール行きに乗り込み、レショ小屋を目指す。
SKI STATIONにて モンタンベール行きの登山電車にて

昨日、下山したと思われるスキーのトレースがいくつもあった。
ちょっと休憩

1月2日 曇りのち雪

天気は、今ひとつだが、ランスールに1ピッチFIXのつもりで出発する。
レショ小屋にて 雪が舞いだした
1時間程度で、風雪になり一旦小屋に引き返す。

1月3日 曇りのち雪

3時に一旦起きるが、星は見えるものの、ジョラスは雲の中だ。
もう一度眠ることにする。
雪をまとったグランドジョラス
7時に起きると、真っ白になったジョラスが姿を現していた。
ジョラスをバックに
このまま帰る気には、なれず、準備をして1Pフィックスのつもりでランスールを目指す。
雲行きが怪しくなってきた・・・
しかし、2時間ほどで風雪となり、荷物を回収して下山することにする。
交わす言葉もない、やりきれない下山だった。
その日は、モンタンベールの駅で眠ることになった。

1月4日 曇りのち晴れ

シャモニに降りると、皮肉にも天気はよくなる気配だった。

1月5日 晴れ

午後、ミディのロープウェイでシモン小屋へ。
今度は、貸切だ。
タキュールの方へ30分ほどトレースをつけにいっておく。

1月6日 晴れ

3時起床、4時半発で、シャレグロットへ向かう。
少し早く出すぎたようだ。
壁の基部で、ツエルトを被って、休む。
明るくなって登り始める。
シャレグロットを行くナカジマはん えっ、もう氷は終わり??

気持ちいいほど、よく効くアックスに楽しむように登るが、60mロープなので5Pほどで雪壁の吸収される。
頂上まで行くか、少し迷うが、スノーシャワーも多くなってきたので、同ルートを降りることにする。
後続の2パーティも氷の部分だけで、懸垂で降りてきた。
彼らは、そのまま、スキーでメールドグラス方面へ降りていった。
「冬のアルプスの正しい楽しみ方」といったところか・・・。
スキーは、よその人の!!
僕らは、シモン小屋に戻り、チビチビと飲んだくれてすごした。
ジョラスとジュアン タキュルとシモン小屋

1月7日 晴れ

今日も好天だ。ただ、かなり気温が低いのと風も強いので、今回もコスミック山稜は、あきらめロープウェイ駅に登り返す。
ミディをバックにナカジマはん ミディ駅にて

今日は、すさまじくスキーヤーが多い。南壁横の急な雪面を下る者、板を担いで下る者・・・バレブランシェは大賑わいだ。
ジョラスをあきらめた時点で、モチベーションはきれていたので、あまり執着はなかった。
シャモニに降りて、レストラン”ドリュ”でオイルフォンデュとワインを食す。
今回、ジョラスを登れるコンディション、チャンスはなかったと思う。
でも、いい条件に恵まれていたとしても、登れていただろうか?
技術面、体力面はなんとかなったと思うが、クライミングに必要な”ハングリーさ”に欠けていた気がする。

シャモニ針峰を見上げる SKI STAION にてターキーを飲むナカジマはん

1月8日 晴れ

いよいよ、シャモニ最後の日。ブレヴァンにスキーに行く。今日が、最もいい天気だった。
明日の早朝ジュネーブに向かうので、パッキングを済ませ、夕食の準備をしていると、デンマーク人が1人下山してきた。
クルトのスイスルートを1日で登ったそうだ。ただ、相棒は凍傷のため、そのままヘリで救助されたらしいが・・・。
寒く氷の状態も悪かったことを語っていた。
ちょうど1年前の秋には、Aさん(後年、明星で亡くなった)とエルキャプのアイアンホークを登っていた男である。
実力もさることながら、モチベーションの高い人は、わずかなチャンスも物にできるようだ。
それにしても1週間ほど前には、好天の訪れを悶々と待っていたクライマーが何パーティかいたが、皆あきらめて去っていったようだ。

1月9日 

シャモニの朝その1 シャモニの朝その2

朝回収するつもりだった、食器を取りにキッチンに行くが、しまっている・・・。
一旦駅まで、荷物を運び、ナカジマはんが、空身でとりに帰るが、まだ閉まっていたとのこと。
う〜ん。まあ、いっか。
ジュネーブで不要な荷物をSAL便で送り、パリへ。

1月10日 

パリでは、頼まれた、ヴイトンのバッグなんかの買出しに行く。
札束を抱えた、日本人のお姉さまの中、汚れたジーンズ姿は、場違いな感じだった。
オランジェリ美術館でにわかアーティスト気分を味わい、夜はバーで少しばかりボラれ、
とぼとぼとホテルに帰りパリの最後の夜は更けていった。



そんなこんなで3度目の”シャモニの休日”も大した収穫もなく、しかし、楽しく過ぎていったのです。
そういや僕にとっての”きびしめの山行”は、これが最後のような気がするなあ・・・

2004.4.25 記