Vol.146   雨

「すごい雨ですね」
「ええ、よほど日頃の行いが悪いのかな」
 本当に大雨だった。部屋の中にいても大きな雨音が聞こえる。
「大人しいんですね。緊張しているのかな」
「ええ、本当に手間のかからない子で、助かっていますが、いつもなんですよ。まだ一言も話したことがないんです」
「おいくつでしたっけ?」
「四歳です。やっぱり母親がいないからですかね」
 食事をするだけだから、天気なんて関係ないのだが、せっかくのデートには、やはり相応しい天気ではなかった。
 彼女と付き合って半年になる。そろそろ結婚も考えている。自分にとっては再婚となる。妻を亡くして二年になる。二歳の男の子を抱えて、男手一つで一年半、仕事と子育ての両立は大変だった。
 それでも、この子は本当に手のかからない子で、何とかやって来れた。言葉は話さないが決して頭が悪いわけではない。
 そして彼女と出会った。年は自分とは十以上離れている。結婚の経験もなかった。こんな自分のどこを気に入ってくれたのか分からないが、交際が始まった。
 前妻に先立たれたこと、子供がいることは話していた。最初は恋愛の対象とは考えていなかった。というより彼女が自分を恋愛の対象として考えてくれるとは思ってもいなかった。
 ところが、ひょんなことから交際が始まった。彼女が結婚を望んでいると感じられるようになり、自分も結婚を意識するようになった。
 そこで子供を交えて食事をすることにしたのだった。彼女がこの子を気に入ってくれ、この子も彼女を受け入れてくれれば、プロポーズするつもりだった。
 彼女は笑顔で子供を見てくれている。子供もいつもと同じく言葉を発しないが、彼女を拒絶する気配はなかった。いい雰囲気だと思った。大雨はまだ降り続けていた。
 ふいに、おもちゃいじりに夢中だった子供が顔を上げた。そして屈託のない顔で、生まれてはじめて言葉を話した。
「お父さん、あの日もこんな雨だったね。お父さんがお母さんを殺したあの日も」

                                            了


BACK