Vol.142   天国と地獄

 西暦20xx年、世の中の乱れはもはやどうしようもないところまできてしまった。景気は低迷を続け、治安は悪化し、人々のモラルも低下した。
 日本だけの話しではない。大国が自分勝手な理屈を押しつけ、世界的にテロがはびこっていた。各地で紛争が起き、いつ世界戦争、核戦争が起きても不思議ではない。ある人が言った。俺が神様だったら、とっくにリセットボタンを押しているよ。世界はそんな状態だった。
 そんな世界情勢、そして乱れきった教育環境もあって、日本でも徴兵制度が導入されることになった。18歳になると誰もが1年間の兵役が義務づけられた。
 それでも抜け道は用意されていた。貧富の差は拡大する一方で、権力者、金持ち、才能のある一部の者には優位で、貧乏な者は這い上がることを許されない世の中だった。
 有名大学に優秀な成績で入学した者、有名なスポーツ選手、芸能人、多額の税金を納めた者などは兵役を免除された。免除されるまではいかなくとも、金で待遇を変えることもできた。兵役は本当に過酷な1年間となるが、金を払えば、楽な場所に配置されるのだった。
「藤川雄一」
「は、はい」
「15番の窓口へ」
 検査官が書類に目を通し、判を押す。ちらっと目が合っただけで、もう次の書類に目を落としていた。
 藤川は言われた通り15番の窓口に向かった。すぐに列の後ろに並んでいた男が一歩前に出て、名前を呼ばれていた。
 ひどく緊張している。藤川の家は大金持ちだったから、兵役も楽になるように手配されていた。親から心配ないと言われていた。それでも常にちやほやされて育ったお坊ちゃんが1年間も家を離れるわけだから不安な気持ちで一杯だった。
 他の若者たちとバスに乗り、宿舎へと向かった。普通のバスで、こんなところは別に優遇されるわけではないのだろう。
 宿舎に着く、祖末な建物だった。6人部屋をあてがわれる。祖末な服に祖末なベット、他の5人との取り合いになり、お坊ちゃん育ちの藤川が他の5人に勝てるわけもなく、中でも一番のボロになってしまった。
 早速、訓練が開始された。とても過酷な訓練だった。聞いていた話しとまったく違う。何も優遇されることはなかった。泣きながら、訓練をこなし、ようやく食事の時間となった。恐ろしく粗末な食事だった。披露も極限を超えており、とても食べられたものではなかった。
 ようやく地獄のような1日が終わった。ベットに入って涙を流す。こんなはずじゃない。何かの間違いだ。明日もまた地獄のような1日が待っていた。
 その頃、別の場所で、別の藤川雄一は戸惑っていた。ずっと貧乏暮らしで、食べるのもままならない状態だった。兵役の1年間は、たとえどんなに訓練がきつくても、少なくとも食べるのには困らないだけましだ。そう思っていた。
 ところが、訓練は拍子抜けするほど楽だった。宿舎も自分の家より遥かに住み心地がいい。食事も豪華そのものだった。こんな1日が1年間続くのなら、まるで天国のようだ。
 同姓同名の2人が同じ日に徴兵され、手違いで入れ違ってしまった。そんなさ細なことに気付く者はいなかった。

                                            了


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