Vol.133   桜

「総理、一言お願いします」
「総理」
 記者たちを振り切って車に乗り込む。内心はうるさい奴らだと思いながら、決して態度には現さず、笑顔は絶やさない。庶民の反感を買うような真似は決してしない。
 やっと手に入れた内閣総理大臣という地位である。いろいろなものを犠牲にしてきた。決して手放すわけにはいかないのだ。

「御帰りなさいませ」
「ああ」
 妻はよく尽くしてくれた。初めての選挙で、声をからして応援してくれた。穏やかであり、社交的でもある。ひいき目ではなく美人でもある。ファーストレディーに相応しい。国民の人気もある。
 息子も立派に育った。東大を卒業し、秘書をやりながら、政治を学んでいる。いづれは後継者にと思っている。
「桜の花が咲きましたよ」
「そうだな」
 もうそんな季節になったのだ。あまりの忙しさに季節すら感じない毎日だった。
「桜が咲く頃になると思い出します。一体何処で何をしているのか」
 妻は毎年同じことを言う。私も決して忘れたことはない。家族には恵まれた。ただ一人、娘の桜を除いては。
 桜の咲く頃に生まれたので、桜と名付けた。父親にとっては、息子とはまた違って、娘というものは本当に可愛いものだ。小さい頃は良かった。本当に愛らしい子だった。誰もが口々に可愛いと言った。
 小学校のときからいろいろと問題を起こした。中学に上がると、完全に不良になった。どうしてこんなことになってしまったのか。高校二年の春に家でをして、もう十年。まったくの音信不通だった・・・ということになっている。
 もしひょっこりと不良娘が現れたら、今の地位を追われかねないスキャンダルとなるのだが、その心配は無用だった。娘は・・・私だけの秘密である。

「あなた、桜の木を見て」
 帰るなり、妻が真っ青な顔をして走り寄って来た。
「どうした」
 何だか分からないが大袈裟なことを言って、大したことはないのだろうと思っていたのだが、桜を見て唖然とした。
 桜の幹にくっきりと模様が浮かび上がっていた。セーラー服を着た少女の姿である。
「これ、何だか、桜に似ていませんか?」
「馬鹿な・・・少女の姿に見えないことはないが、偶然にこんな模様が出来るなんて不思議なこともあるもんだな」
 私にも桜の幹に出来た模様は、あの時の娘の桜にしか見えなかった。しかし、そんな馬鹿なことがあるはずはない。必死でその思いを打ち消した。

「あなた、起きて」
 その夜、血相を変えた妻に起こされた。
「聞こえるでしょ」
「そんな馬鹿な・・・」
「ねえ、私はここって、あの娘の、桜の声よ」
 そんなことはあり得ないのだが、私にもはっきりと聞こえた。私はもう平静を取り繕うことはできなかった。
「お前が言う事を聞かないからいけないんだ。お前みたいな娘がいたら、俺の政治家としての生命は終わりなんだ」

「さて、大変ショッキングなニュースが飛び込んできました。総理大臣の家の桜の木の下で、行方不明となっていた娘さんの死体が発見されました。死後、十年経っており・・・」

                                            了


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