もう死んでしまいたいと思っていた。今日は・・・もう0時を過ぎているだろうから、昨日はと言うべきか。何故か冷静にそんなことを考えている自分が可笑しくて、涙が出ているのに笑ってしまった。
そう昨日は私の誕生日だった。最高に幸せな1日になるはずだった。よりによってそんな日に振ることはないじゃない。
大好きな彼だった。すべてうまくいっていると思っていた。彼の心が離れていたことにまったく気づかなかった。食事をしているときも、いつもと同じ楽しい一時だった。最後に突然、別れ話しをされた。「他に好きな人ができた」と言っていたような気がする。よく覚えていなかった。
あまりにショックが大きくて、その後のことはまったく記憶がなかった。彼に何か言い返したのか。どんなやり取りがあったのか。どうやって店を出て、何をしていたのか。まったく覚えていなかった。いつの間にか、見知らぬ公園を歩いていた。割と大きな公園だ。桜が満開だった。
桜の木の下に人影があった。お花見をしているようだ。何気なく近づいて行った。中年の男性と女性、小学校低学年くらいの女の子、おばあさんがいた。おばあさんは上品で優しそうな人で、私に気づき、にっこりと微笑んでくれた。
「やあ、どうぞ、どうぞ」
他の人たちも私に気づき、中年の男性が仲間に入るよう誘ってくれた。この人がお父さんで、女性がお母さん、その子供の女の子とおばあちゃんの家族なのだろう。
皆が実に楽しそうに笑っていた。言葉数は少ない。静かにお酒を飲み、ジュースを飲み、料理を食べていた。私に対しても、ごく自然にさりげなく接してくれた。押し付けがましいわけでもない。
どうしてこんな真夜中に若い女性が一人でふらふらと歩いていたのかなんて言われなかった。この人たちにしても、小さな子供がいるのにどうしてこんな真夜中にお花見をしているのか不思議だったが、私も訊かなかった。
そもそもほとんど会話は交わさなかった。ただお酒と料理をごちそうになり、笑顔を交わした。何だかすごく居心地が良かった。あれほど落ち込んでいたのに、幸せな気分にさえなった。
次の朝、すっきりと目が覚めた。昨夜は散々な目に遭ったが、あの家族とのお花見のおかげですっかり立ち直っていた。
とにかくあの人たちと一緒にいると癒されて、居心地が良かったので、いつまでもこうしていたいとも思ったが、せっかくの家族水入らずの場をあまり邪魔しても悪いと思ったので、早々に腰を上げた。そんな気をつかえるくらい精神的にも安定した状態になったということだ。
公園を出て少し歩くと、大通りに出て、すぐにタクシーがつかまった。30分くらいで家に着いた。それでも大分遅い時間だったのであまり寝ていないのだが、目覚めは爽やかだった。
テレビのスイッチを入れる。いつもの朝のニュースをやっていた。遅刻せずに会社に行けそうだ。いつも通りに仕事も出来そうだ。
今になってみれば、昨夜のことは、彼に振られたことも、真夜中のお花見も、夢の中の出来事のように感じられた。
「一家4人が焼死しました」
テレビからアナウンサーの声が聞こえてきた。画面を見て愕然とした。あの4人の写真が映っていた。家族で町工場をやっていて、経営難で大きな借金をしてしまい、それを苦にしての自殺であろうということだ。
私は大きなショックを受けた。あれは最後の晩餐だったのだ。どうしてそんな大事な場に見も知らぬ私を暖かく迎えてくれたのだろう。どうしてあんなに穏やかにしていられたのだろう。覚悟が決まって、すべてを受け入れる気になっていたのだろうか。あの女の子はこれからの自分の運命を知っていたのだろうか。
頭の中がパニックになっていた。もう彼に振られたことなど完全に吹き飛んでいた。とにかく今の私に出来ることは、いつものように会社に行くことだけだった。
電車の中で中年サラリーマンが器用に小さく折り畳んだ新聞を読んでいた。4人家族が焼身自殺という見出しが目に入った。あまり覗き込むわけにもいかないし、記事の中身までは見えなかった。
だから彼女は気づかなかった。記事には一家が自殺したのは昨夜9時頃と書いてあった。真夜中のお花見よりも前の出来事だった。
了