Vol.115   鍵

 その老人を見かけたのは、まったくの偶然だった。そして老人についての話しを聞けたのも偶然だった。
 まだ早い時間だったが、俺は一人で酒を飲んでいた。初めて入った街の安酒屋だ。会社をリストラされて3ヶ月、初めの1ヶ月は真面目に新しい仕事を探したが、四十過ぎの何の技術も持たない男にろくな仕事はなく、早々にあきらめた。独り身なのは幸いだったが、やることもなく、金もなく、お決まりの転落コースでパチンコに手を出した。初めは勝った。調子に乗って、パチプロで食っていけるのではないかと思った。しかし、一度負け始めると、無一文になるのはあっという間だった。それでもパチンコが辞められなくなっていた。サラ金で金を借り、負け続け、酒浸りになった。もちろん返すあてはない。ちょっと考えれば相当やばい状況だった。考えないために酒を飲んだ。そんな時、ふと入った店で、他の客の会話が聞こえてきたのだった。
「あのじいさんだよ」
「ああ、本当だ大きな鍵をぶら下げてるな」
 店の外をよぼよぼの老人がよたよたと歩いていた。確かに、首から紐につけた大きな鍵をぶら下げているのが目につく。
「何の鍵かな?」
「大変な大金を隠しているって噂だぜ」
「本当かよ?」
「さあな。身よりもないって話しだし、もう先は長くないし、そんな大金を持っていたって何の役にも立たねえけどな」
 俺はすぐに席を立ち、店を出た。酒代払うと、もう小銭しか残っていなかった。
 老人の後をつけた。俺がここにいるのはまったくの偶然だ。俺のことを知る人間は一人もいない。俺が老人を襲っても、発覚する恐れはない。あんなよぼよぼの老人など、俺でも楽勝だ。だいたい、あんな大きな鍵をこれ見よがしにぶら下げているのが悪い。よく今まで誰にも襲われなかったものだ。
 老人が家に入っていった。古い小さな家だ。とてもそんな大金を持っているとはおもえなかった。俺は窓から中の様子をうかがった。ほとんど何もない部屋だったが、大きな金庫が置いてあった。
 間違いない。あの金庫に大金が眠っているのだ。俺はドアをこじ開け、中に入った。後ろから老人を殴り倒し、鍵を奪った。あっけないほど簡単だった。
 鍵を金庫の鍵穴に差し込む。ピタリとはまった。鍵を回すとカチリと音がした。金庫の鍵が開いた。ゆっくりと扉を開ける。中には紙が一枚入っているだけだった。その紙を手に取る。
 すべての災いをここに封印する。−−−そう書いてあった。たったそれだけだ。
 老人は倒れたままピクリとも動かない。俺は大きな失望と恐怖を感じ、慌てて逃げ出した。

 それから3日が経った。もう金は一銭もなかった。食うものもない。サラ金の取り立てがやって来た。俺は部屋の中でじっと息を殺しているしかなかった。もう強盗でもするしかない。
 ドンドンーーードアをノックする音がした。またサラ金の取り立てだろうか。
「警察だ。出て来なさい」
 しかし、サラ金ではなく、刑事だった。
「殺人容疑だ。署まで来てもらおうか」
 あの老人は死んだのだった。俺が殺してしまったのだ。そしてどういうわけか俺の犯行だということが発覚してしまったようだ。
 俺があの金庫の中の紙に書いてあった言葉を思い出した。封印されていた災いを持って来てしまったのだろう。すべてが終わった。もうどうしようもなかった。
 しかし、彼は気づいていなかった。老人が封印していたすべての災いが世の中に溢れ出てしまったことを。

                             了


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