眠れない。疲れてはいるのだけれど、眠れないのだ。無呼吸症候群なんて病気があると聞いたのがいけなかった。眠っている間に呼吸が止まって死んでしまうなんて恐ろしい病気だ。俺は心配性なので、眠るのが怖くなってしまった。
よくよく考えると、眠るというのは恐ろしいことだ。何が起きても、眠っている間はまったく気づかないのだ。強盗が入って来て、殺されるかもしれない。大地震が起きて死んでしまうかもしれない。火事になって、気づかないうちに焼け死んでしまうかもしれない。
戸締りは厳重にしている。それでも入ってくるのが強盗なのだ。火の始末も問題ない。俺はタバコは吸わないし、料理もしないから大丈夫だけれど、何度も確認している。でも、ここはアパートだから、隣の部屋で出火するかもしれない。
そんなことを考えたら、眠ってなどいられないのだ。自分には起こるはずがない。人は、そんな何の根拠もない思い込みで、自分を納得させているだけなのだ。いつ自分の身に、どんな災難が起きるかなんて誰にも分からないし、誰にも起こり得るのだ。
眠れないのはしんどい。頭がボーッとして、会社でもミスをする。食欲もない。皆に痩せたと言われる。自分で鏡を見ても、青白く覇気のない顔に驚いたものだ。それでも眠っている間に何が起きるか分からないと考えると、眠るわけにはいかないのだ。
もう一週間も眠っていない。ふと眠ってしまいそうになるときがある。何も考えずに眠ってしまえとも思う。それでもやはり眠るのが怖いのだ。ハッと気づいて、目を開ける。眠ってしまおうか。頑張って起きていようか。そのせめぎ合いである。
人はどれほど眠らずに生きていられるものなのだろうか。限界がくれば、俺の意思など関係なく眠ってしまうのだろう。もう成り行きに任せるしかない。
そして遂に限界が訪れたようだ。まぶたが下がっていく。もう俺にそれを止める力は残っていなかった。
ハッと目が覚めた。何が起きたのかしばらくは分からなかった。どうやら夢を見ていたらしい。眠れずに苦しんでいる夢を見ていたのだ。
時計を見ると朝の5時だった。何曜日なのか思い出せなかったが、目覚ましは7時にセットしてあった。会社に行くにしてもまだ眠っていられる時間だった。
そうと分かれば何も怖いものはない。俺は安心して目を閉じた。−−−そして目が覚めた。
病院のベットの上だった。俺は一週間昏睡状態だったそうだ。交通事故で頭を打ち、生死の境をさまよっていたのだ。俺が居眠り運転をしたらしい。
俺は意識のない間、眠りながら、眠れずに悩んでいる夢を見る−−−という夢を見ていたのだ。
「もう大丈夫です。ゆっくり眠って下さい」
医者にはそう言われた。今日あたり意識が戻らなければ危ないという状態だったらしい。そして意識は戻らないのではないかと思われていたようだ。奇跡的に助かったという感じらしい。
さて、ゆっくりと眠りたいのはやまやまだが、俺は眠ったらどうなってしまうのか、また変な夢の世界に飛び込んでしまうのではないか。眠っている間に様態が急変して死んでしまうのではないか。そもそも今のこの状況は本当に現実なのだろうか。眠ったらどうなってしまうのか。
不安だらけで、とても眠れなかった。
了