Vol.110   ミスターX

 ミスターXと呼ばれる男がいた。職業は殺し屋。本名、年齢、経歴は一切不明。どんな姿をしているのか誰も知らない。
 絶対にしくじらない。確実に依頼人のリクエストに応えて、人を殺す。事故死に見せかけるため、依頼人に危険が及ぶ心配は一切ない。
 当然、依頼料金は桁違いに高い。それでも確実に、そして殺人と思われずに人を殺したい場合は、彼に頼むしかない。
 実際に彼の姿を見たことのある人は数えるほどだった。依頼人の前には姿を現す。しかし、常に変装をしているようで、ある人は若い痩せた男だったと言い、ある人は中年の太った男だという。男かどうかも本当のところは定かではなかった。

「確実なんだろうな」
「間違いありません」
 とあるビルの会議室。男たちはサラリーマンの上司と部下だった。今の世の中、一般企業であっても利害関係から人を殺すなどという物騒な事態が起こっても不思議はない。
 男たちは何処から情報を仕入れたのか知らないが、ミスターXに殺人を依頼した。そして今日、この会議室にミスターXが現れることになっていた。

ガチャリ−−ドアが開いた。
 現れたのは、か細い初老の男だった。清掃員の格好をしている。何処からどう見ても、とても殺し屋には見えない。しかし、ミスターXlは変装の名人でもあるのだ。
「頼みます」
 男たちは、ターゲットの資料が入った紙袋を渡した。依頼金の半額は既にスイスの銀行口座に振り込んであった。残金はターゲットが死んだら、同じ口座に振り込む。そういう取り決めになっていた。

 清掃員は、部屋を出ると、紙袋をゴミ箱に捨てた。誰もいないと思って入った会議室に人がいた。そして紙袋を渡された。腑に落ちなかったが、捨てておいてくれということなのだろうと、彼は判断した。殺し屋に見えないのも当然で、彼は本当の清掃員だったのだから、真っ当な判断だった。

 その日、とある会社の社長が交通事故に遭って死亡した。男たちがミスターXに依頼して、殺害しようとしていた社長だった。

「これほど見事なものなのか」

「絶対に失敗はしない。プロ中のプロという話しでしたから」  男たちは喜ぶと同時に恐ろしさを感じた。残りの半金を指定の口座に振り込むことも忘れなかった。
 見事に決まっている。本当の事故だったのだから。

 ガチャリ−−翌日、ドアを開け、ミスターXは誰もいない会議室で途方に暮れた。約束の日を1日間違えていることに彼は気づいていなかった。

                             了


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