Vol.109   ロシアン・ルーレット

 いざとなると手が震える。どうせ死のうと思ったのだ。例え当たったとしても引き金を引くだけですべてが終わるだけだ。どうということはない。
 確立は六分の一だ。普通に考えれば当たらないだろう。だからかえって変な希望を持ってしまうのか。
 これで当たってしまうなんて本当に運が悪い。でも、今の俺なら当たるかもしれない。すべての運は使い果たしてしまったから。
 冬だというのに汗でぐっしょりだ。もう何の未練もないはずなのに。もう死ぬしかないと決めたじゃないか。
 それにしても何故こんな方法を思いついたのだろう。もっと楽に、確実に死ねる方法もあるじゃないか。まだ何処かに生きたい気持ちが残っているのか。
 そうだ。神様にだって、仏様にだって、いくらだってお祈りしてやる。もう一度やりなおさせてもらえるなら。
 でも神なんてものはいないよな。いれば俺がこんな酷い目に合うわけがない。俺は何も悪いことはしていない。
 運が悪かっただけなんだ。地道に暮らしていればよかったのか。でも投資をすれば確実に儲かっていたのだ。誰だって欲が出る。
 突然、株価が暴落するなんて。誰も考えもしなかった。あっという間に一文なしだ。いや一文なしならまだいい。気がついたときには何十億という借金を抱えていた。
 どうしようもないんだ。死ぬしかない。だからってロシアンルーレットをやってもようなんて、馬鹿なことを考えたものだ。
 死ぬ前に最後の賭けをやってみようと思ったのだ。拳銃に一発だけ弾丸を込める。何処に入っているか分からないように回す。
 当たってしまえば死ぬだけ。当たらなければもう一度やり直す。やはり未練が残っているのだ。
 もう一度やり直させてもらえるなら、悪魔に魂だって売ってやる。どうせ悪魔なんてものもいないのだろうが。
 俺は大きく深呼吸をした。そして引き金を引く指に力を込めた。
 カチリ・・・弾は出なかった。

 人は死んだ気になれば何でもできるものだ。俺はあのとき死ななくて本当に良かったと思っている。
 俺はもう一度やり直して、事業に成功した。以前のような無茶な拡大はせず地道に努力した。
 二十年かかった。俺は五十歳になっていた。すべての借金を返済した。社長とはいえ、それほど裕福なわけではない。でも、人並みの生活はできる。
 がむしゃらに働いたから結婚など考えてもいなかった。それでも縁があって、昨年知り合った女房で結婚した。
 娘も生まれた。結婚式などしなかったのだが、借金の返済が終わったのを期に結婚式を挙げることにした。
 妻も喜んでくれている。俺は幸せだった。おそらく人生で一番幸せなときだろう。
 本当にあのとき死ななくてよかったと思う。そしてあの奇妙な体験を思い出す。
 あのとき、弾は発射されたのだ。六分の一の確立に当たってしまったのだ。引き金を引いた瞬間、手ごたえみたいなものを感じたのだ。ああやってしまった。そう思ったのだ。
 でも俺は生きていた。弾は出なかった。俺の勘違いかと思った。しかし、確認したら弾はなくなっていた。
 無意識のうちに避けたのか。部屋を探しても弾は何処にもなかった。一発だけ拳銃に詰めたことは間違いない。
 弾は何処かに消えてしまったのだ。
「さあ行きましょう」
 妻は私より遥かに若いとはいえ、もう三十歳だ。それでもウエディングドレス姿が眩しいほどに美しかった。
「綺麗だよ」
 俺は素直に彼女を褒めた。こんな歯の浮くようなことを言ったのは初めてのことだった。
 妻は恥ずかしそうに笑った。
 妻に抱かれた生まれたばかりの娘を笑っていた。愛しい笑顔だ。
 俺たちは控え室を出て、友人たちが待つにチャペルに向かった。
 皆が笑顔と拍手で迎えてくれる。慎ましながら、かけがえのない友人たちだ。
 ダーン・・・銃声がした。

「よりによって結婚式のときに・・・」
「こめかみを打ち抜かれて即死だって」
「残された奥さんと娘さんが可哀相で」
「もちろん誰かに怨まれるなんてことはありませんよ」
「拳銃を撃った人なんていませんでした」
「不思議なんだ。弾丸は二十年も前のものだったらしい」

 悪魔に魂を売るっていうのはこういうことさ。ちゃんとやり直しができただろう。幸せの絶頂で魂をいただくのさ。

                             了


BACK