Vol.106   夢の続き

 ふと何かの気配を感じたのだろう。ハッと目が覚めた。隣に寝ているはずの女房が起き上がっていた。俺の方を向いて、ベットの上で正座している。
「どうした?」
 声をかけたが、虚ろな表情を浮かべたままで、答えは返ってこない。
「おい、どうしたんだ?」
 尋常な様子ではなく、心配になった。
 女房は黙って両手を振り上げた。その手にはしっかりと包丁が握られていた。

 そこで目が覚めた。女房は隣でぐっすりと眠っている。夢だったのだ。
 恐ろしい夢だった。目が覚めなければ、俺は女房に刺し殺されていただろう。
 結婚して10年、新婚の頃の気持ちは残っていないかもしれないが、仲の悪い夫婦というわけではない。ごく普通のサラリーマンだから、決して金持ちとはいえないが、人並みの生活はしている。浮気もしていない。女房に刺されるような心当たりはまったくなかった。
 ただの夢だ。そう思って、再び目を閉じた。すぐに眠りに落ちた。
 翌日は夢のことなどすっかり忘れていた。夜になって眠り、同じ夢を見た。
 それから毎日、同じ夢をみるようになった。そして1週間ほどして、同じ夢ではないことに気がついた。少しづつ長くなっているのだ。最初は女房が包丁を振り上げたところで目が覚めた。今ではその包丁を振り下ろしてからめが覚める。包丁の刃が日に日に俺に近づいているのだ。
 包丁はどんんどん俺の心臓に近づいてきた。もはやあと1センチほどで刺される状態だった。 俺は夢を見るのが怖くなって、夜、眠れなくなった。
「どうしたの?最近、体調が良くないようだけど」
 女房に言われた。そうなのだ。俺の体調を気遣ってくれる女房が俺を殺すわけがない。
「ちょっと、寝つきが悪くて」
 そんな女房に夢の話しなどできなかった。
 注意力が散漫になって、仕事でミスをするようになった。居眠りしてしまうこともある。上司に注意されたほどだ。体もきつい。
 カウンセリングというものも受けてみたが、効果はなかった。とにかく眠るしかない。それでも眠れないのだ。俺は今まで寝つきのいい方だったから、まったく分からなかったが、不眠症というのは、こんな感じなのだろう。しんどいものだ。
 それでも人間は眠らなければ生きていけない。そんな状態が2週間も続いた頃、さすがに体が耐え切れなくなったのだろう。俺はベットに入るとすぐに眠りに落ちた。
 そして目が覚めた。自分でもよく眠ったことが分かっていた。頭がすっきりしている。夢は見なかった。
 ふと横を見ると、妻は眠っていなかった。俺の方を向いて、ベットの上で正座している。
「どうした?」
 声をかけたが、虚ろな表情を浮かべたままで、答えは返ってこない。
「おい、どうしたんだ?」
 女房は黙って両手を振り上げた。その手にはしっかりと包丁が握られていた。
 包丁は俺の心臓に振り下ろされた。夢ではなく、現実だった。
 胸に鋭い痛みを感じたのは一瞬のことだった。すぐに俺の意識は途絶えた。

                             了


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