Vol.105   バレンタイン

 下駄箱を開けて、ドキリとした。心臓が止まるかと思ったほどだ。可愛いリボンのついた小さな箱が入っていた。
 これって、プレゼントだよなぁ・・・中学の3年間、小学校のときだって、こんなものをもらったことは1度もない。僕はスポーツが得意なわけでもないし、頭がいいわけでもない。別に格好いいというわけでもない。女子にもてたことなんてないのだ。
 しかも、今日はバレンタインデーだ。ということは・・・僕は舞い上がってしまった。
「おはよう」
 クラスの友達が来たので、慌てて下駄箱のふたを閉めた。彼をやり過ごして、素早く箱を取り出して、ポケットに仕舞った。
 教室に入ると、もうすぐに朝のホームルームが始まる時間だった。箱はポケットに入ったままだ。とにかく1時間目の授業が終わるまでは何もできない。
 ホームルームも1時間目の授業も上の空だった。一体誰が?−−−まったく心当たりはなかった。誰かと間違えて、僕の下駄箱に入れたのかもしれない。誰かのいたずらかもしれない。普段もてないものだから、悪い方に考えてしまう。
 幸いにして先生に当てられることなく、授業が終わった。僕は教室を走り出て、誰にも見られずに、包みを開けられる場所を探した。
 結局、体育館の裏まで行き、リボンを解いた。中にはやはりチョコレートが入っていた。それもハート型だ。
 カードが1枚、添えられていた。「あなたのことが好きです」可愛らしい女の子の字で書いてあった。宛名も、そして差出人の名も入っていなかった。
 書き忘れたのか?あえて書かなかったのか?それともやはりいたずらなのか?僕はどうすればいいのだろう?
 とにかくもう2時間目の授業が始まる。とりあえず僕は急いで教室に戻った。
 2時間目の授業も当然そっちのけだった。僕は教室の中を見渡した。誰かのいたずらなら、誰かが僕の様子をうかがっているかもしれない。でも、皆、黒板の方を見ていて、僕になど注目していない。当然といえば、当然のことだけれど。
 と思ったとき−−−彼女と目が合った。僕が好きなあの子だ。しかも、目が合った瞬間、はにかんだ顔をして目をそらすではないか。まさか、あの子が僕に・・・まさかそんなことが・・・僕はもう本当に舞い上がってしまった。
 もう授業なんてまったく手につかなかった。僕は何度も彼女を見てしまい、何度も目が合った。その度にお互い恥ずかしそうに目をそらした。上の空で1日が終わり、下校の時刻になった。僕はどうしていいか分からず、結局、いつものように家に帰るしかなかった。
 僕は荷物をまとめて教室を出た。いつも一緒に帰る友達は部活があるとのことだった。
 下駄箱で靴を履き替えて・・・
「あっ」
「あ、ああ」
 鞄をさげた彼女が来た。偶然だろうか?待っていたのだろうか?−−−彼女も1人で、辺りには誰の姿もなかった。
 僕らは自然と一緒に歩き出した。
 学校を出て、しばらく無言で歩いた。彼女と2人きりで歩くなんて今までには1度もなかったことだ。僕は完全に舞い上がってしまった。
「あの・・・僕、君のことが・・・好きなんだ」
 今思えば、よくそんなことが言えたと思う。あの時の僕はどうかしていたのだ。でも、彼女はニッコリと微笑んでくれた。

・・・それから10年後。
「お2人は中学の同級生で、10年の交際を経て、めでたくゴールインとなったということですが、最初のきっかけは何だったのですか?」
 結婚式の司会者が尋ねた。そう、あれから10年、僕らは遂に結婚することになった。
「バレンタインデーに彼女がチョコレートをくれて、それから付き合うようになりました」
 あのときのことは今でも鮮明に覚えている。あんな経験は後にも先にもあのときの1度きりなのだから。
「そうですか。それから10年間。長い春だったわけですね」
 司会者が微笑んだ。プロの人を頼んだので、さすがに慣れて堂々としている。
 彼女が小声でつぶやいた。
「チョコレートなんてあげてないわよ。どういうこと?」
 なんてこった!僕は10年間勘違いをしていたわけだ。じゃああれは何だったのだろう?誰か別の人が僕に?誰かと間違えて?それともただのいたずら?
「まあ、いいじゃない」
 そんなこと今となってはどうでもいい。例えお化けの仕業だって、僕らはこうして結婚することができたのだから。

                             了


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