気がついたら舟の上にいた。客船のような大きくて豪華な船ではない。モーターボートでもない。木で造られた小さな舟だ。昔ながらの渡し舟というやつだ。船頭が櫂を手に漕いでいる。何処かの川を渡っているようだ。
俺は何故こんなところにいるのだろう。ここは何処なのだろう。変な天気だった。空は灰色だった。雲は一つもなかった。それなのに薄暗い。何とも無気味だ。こんな空の色を見たことがなかった。
「三途の川だよ」
一緒に乗っていた男が言った。白い服・・・そう死装束を着ていた。頭には白い三角形の布を着けていた。自分の体を見た。頭を触った。俺も彼と同じ格好をしている。そうだ。俺は死んだのだった。
「本当に・・・」
「ああ、三途の川は本当にあるんだ。この格好も冗談じゃないぜ」
怪談話しで聞く、死んだ後の風景がそのまま展開されていた。まさか本当に人が死ぬと、こんな場所にやって来るなんて、あまりにありきたりで反って信じられない気持ちだった。同乗している男も俺と同じ気持ちだったのだろう。
「この川の向こうは地獄だ。閻魔大王がいるってわけだ」
舟に乗っているのは俺と男の二人だけだった。船頭もいるが、彼はずっとうつむいて顔が見えないし、全体的にすごく暗い雰囲気で、存在感がなかった。
男は、俺よりも今の状況を理解しているようだった。俺は自分が死んだことは思い出したが、これからどうなるのか不安で仕方がなかったが、男はニヤニヤと笑っていた。
「何をやったんだい?」
男はその不適な笑顔のまま尋ねた。
「何って・・・」
「地獄に落ちるってことは、何か悪いことをしでかしたんだろう?」
そうなのだ。俺は泥棒だった。何度も警察の世話になっている。人を傷つけたことはないが、満足に働かず、盗みを繰り返していた。何年も刑務所に入っている。地獄に落ちるには充分な実績だろう。本当に地獄が存在するなら、そんなことはしなかった。もし、いい行ないをしていたら天国に行けるのだろうか。
「まあ、今更、後悔しても遅いぜ」
俺が答えられないでいると男は嫌な笑顔を浮かべたままつぶやいた。その人相から想像するに相当に悪そうな男だった。
「さあ、着いたぜ」
舟が岸に着いた。男が立ち上がり、舟を降りた。俺もそれに続いた。
「よし、次。殺人か・・・血の池地獄に連れて行け」
本当に閻魔大王はいた。マンガなどで見る閻魔大王の姿そのままだった。既に並んでいた死者たちを次々と裁いている。
「次」
一緒に乗って来た男が呼ばれた。男は嫌な笑顔を浮かべたまま閻魔大王の前に出て行った。
「またお前か」
何と閻魔大王は男を知っていた。凄く困ったような顔をした。
「俺は地獄なんてところに縛られるつもるはないぜ。問題を起こす前に戻してしまった方がいいぜ」
「よし、戻れ。次」
男はおとがめなしだった。戻るというのは現世に戻るということなのか。この男は地獄でも問題を起こして、地獄を追放されたのか。ということは・・・。
「窃盗犯か」
「うるせー。俺は地獄でも暴れてやるぜ」
俺は生き返りたい一心で、閻魔大王に楯突いた。内心はドキドキだったが、思いきり悪ぶった。
「分かった。分かった。戻ってよろしい」
散々悪態をつき、暴れもした。その成果があって、俺も放免された。
俺は目が覚めた。生きている。戻って来たのだ。
「良かった。生きているぜ」
「死なれちゃ困る。これから思いきり働いて、金を返してもらわなきゃならねえからな」
「とりあえずマグロ船に乗ってもらうか」
そうだった。おれはヤクザの金に手を出し、捕まってしまったのだ。一生働いて返してもらうと言われて、飛び下り自殺をしたのだ。
「お願いだ。殺してくれ」
叫んでみたが、もう遅かった。
了