Vol.91   針

 人にはいろいろと怖いものがある。 高所恐怖症、閉所恐怖症などは有名だ。症というくらいだから精神的な病気なのだろう。
 僕は尖ったものが怖い。ナイフなんかもどちらかというと苦手だけれど、まだ耐えられる。細く尖ったものがとにかく駄目だ。
 誰かにナイフで脅された経験はまだないけれど、ナイフを突きつけられるより、針を突きつけれたと想像した方がはるかに怖い。
 細く尖った針は見ているだけで、怖くて震えてしまうほどだ。そんなものを突きつけられたら、きっと気絶してしまうだろう。
 シャーペンの芯でも駄目なのだ。中学生の時、友達がふざけて、シャーペンの芯を長く出したもので、僕の手をつついたことがあった。その時、僕は恐怖のあまり気絶してしまった。
 何故、僕が尖ったものが怖いのかは分からなかった。僕は十歳のとき、右目を失明しているのだけれど、もしかするとそのことが関係しているのかもしれない。でも、何故、失明したかも覚えていなかった。
 針でついてしまって、失明して、それで尖ったものが怖いと考えるのが一番自然だけれど、まったく覚えていない。いい思い出ではないからあまり思い出したくないというのもあった。
 誰かに聞こうにも、僕には身寄りがなかった。両親は僕が十二歳のときに亡くなった。
 親戚の家に世話になっていたけれど、遺産が沢山あったので、生活に困ったことはない。特につらくあたられたということもなく、幸せに今まで暮らしてこれたと思う。
 それでも、いつまでも親戚の家で暮らすわけにもいかないと思い、二十歳になったのを機に、一人暮らしを始めた。
 親の遺産は小さなマンションの一部屋を買っても、まだ余裕があった。
 ピンポーン−−ドアのチャイムが鳴った。今日、ここに越してきたばかりで、誰かが訪ねてくる予定はなかった。新聞の勧誘か何かだろうと思い、僕はドアの覗き穴から外を見た。見える方の左目で。
 深く帽子を被り、コートを着た人が立っていた。片手をポケットに突っ込んでいる。男か女かも分からない。
 僕はすごく嫌な気持ちになった。凄く暗い雰囲気を持った人だったし、前にもこんな経験をしたことがある気がした。
 その人がポケットから手を出した。そして僕は十年前の出来事を思い出した。
 その人は長くてぶっとい針のようなものを持っていて、覗き穴に突き刺した。ガラスのレンズを突き破り、僕の目に突き刺さった。よける暇などなかった。
 僕は十年前にもこうして右目を失明したのだった。あの人がこうして僕の目を突き刺したのだ。
 そして、こういい残して去っていった−−十年後にもう一度来る。
 あの人は何者なのか、何故こんなことをするのかは分からない。でも、僕が尖ったものが怖い理由は今、はっきりと分かった。

                             了


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