「さあ、飲んでくれ。食べ物もあるぞ」
「あ、ありがとうございます」
仕事始めの日、この会社では、仕事は午前中だけ。昼には酒と料理が用意され、飲んで、食べて、そのまま解散というのが恒例になっていた。
「さあ、遠慮せずやってくれ」
「はい。いただいてます」
社員数は20名程度の小さな会社だったが、業績は順調だった。社員は真面目によく働いた。こうして自ら、一人一人の社員を労ってくれる社長の人柄が、社員から好まれており、会社の雰囲気はとても良かった。
「さあ、少ないけど、とっておいてくれ」
「はい、ありがとうございます」
毎年、社長は社員にお年玉を配る。これも恒例の行事となっていた。
「この年になると、あげるばかりで、お年玉をもらえるのはここだけですよ」
「少し恥ずかしい気もしますが、すごく嬉しいんですよね」
金額は本当に少なかったが、社員には好評だった。
「いつから、こんなことを始めたんですか?」
「俺が入社したときはもうやっていたぞ」
「社長、どうして社員にお年玉を配ろうなんて思ったんですか?」
社長はいつものように朗らかな笑顔を浮かべ、酒が入って赤ら顔になっていた。
「そうだな、酔っ払っているから話してしまおうかな」
「ええ、是非、聞かせて下さい」
社員たちは興味深々という感じで社長の周りに集まった。
「不思議な話しなんだが、皆は俺が夢でも見ていたんだと思うだろう。まあ、酔っ払いの戯言と思って、聞き流してくれればいい」
そして社長は話し出した。
「あれは俺がまだ二十代の初め、大学を卒業して社会人になったばかりの頃だった・・・」
大学までを地方で過ごした彼は、東京の会社に就職し、上京した。初めて住む都会は刺激的で、いくら遊んでも遊び足りなかった。サラリーマンの安月給などあっという間になくなった。クレジットカードの世話にもなったが、それでも足りない。一か八かでギャンブルに手を出してみたが、当然、うまくいかず、その年の暮れ、彼の財布にはわずかな小銭が入っているだけだった。
正月だというのに食べるものすらろくにない状態だった。実家に帰れば、御節料理も食べられただろうが、旅費がなかった。それにこんな情けない状態で故郷に帰る気はしなかった。
しかたなく、カップラーメンを夕食兼年越しそばとして、アパートの一室でテレビを見ながら、一人寂しく年を越した。そして夢を見たのだった。
彼の大好きだったおばあちゃんが夢の中に現れた。おばあちゃんは彼が高校生の頃に亡くなっていた。彼は幼稚園の頃、弟が生まれて、両親が弟の世話に追われていたときに、おばあちゃんに面倒を見てもらっていたこともあって、大のおばあちゃん子だった。おばあちゃんはとても懐かしい、優しい笑顔で微笑んでいた。
これは夢なのだと分かっていた。自分は今のままの姿だったから、おばあちゃんは自分のことが分からないはずだ。それでもおばあちゃんはあの頃のように優しく彼に接してくれた。
彼は夢の中でおばあちゃんに甘えた。まるで子供の頃のように。おばちゃんは優しく彼を慰めてくれた。
「そうかい。大変だねえ」
懐かしい優しい声だった。そして子供の頃のようにお年玉をくれた。
「元旦の朝、目が覚めたとき、俺は本当にお年玉を握り締めていたんだ。馬鹿な話しだろう?」
社長がゆっくりと言った。社員は誰も笑わなかった。
「たいした金額じゃなかった。一瞬、競馬でもやって増やそうかなんて思ったが、おばあちゃんの優しい笑顔を思い出したら、とてもそんなことはできなかった。実はそのお年玉は今でも大事にとってあるんだよ。それから俺は心を入れ替えて、真面目に働いて、この会社を作ったというわけさ」
社長の話しを社員は黙って聞いていた。冗談を言っているのか、本当のことなのか、分からなかったが、それを社長に確かめる社員は誰もいなかった。
了