Vol.81   アゲイン

「はーい、こんばんは。美樹のムーンライト・セレナーデのお時間です。今日も最後までおつきあい下さいね」
 美樹がこのラジオ番組のDJを初めて、もう2年近くになる。一地方局の番組だから、全国放送に比べればリスナーの数は桁違いに少ない。それでもこの地区では人気番組だったし、美樹も人気者だった。ちょっとハスキーな声と軽快なお喋りが人気を呼んでいた。ラジオだから、美樹が人前に姿を現すことはほとんどなかったが、容姿の方も美人である・・・ということにしておこう。
 美樹は小さな芸能事務所に所属しており、たまにイベントの司会などもやるが、この番組のDJが主な仕事である。一応、芸能人ということになるのだろう。美樹という名は芸名である。決して裕福な暮らしではなかったが、女一人が細々と暮らしていくには困らない程度の収入はあった。この仕事にはやりがいを感じている。
「さて、最初のリクエストです・・・」
 この番組はリスナーからのリクエスト曲をかけながら、合間に美樹がお喋りをするというオーソドックスなラジオ番組だった。月曜から金曜の夕方5時からの30分番組だ。
「ペンネーム、トリニティーさんからのお葉書です。いつもありがとう・・・」
 番組にいつもリクエスト葉書をくれる常連のリスナーが何人かいる。トリニティーもその1人だった。好きな映画のヒロインの名前からとったペンネームだということは以前の葉書に書いてあった。美樹もこの名は知っている。美樹も好きな映画の1本だった。
 1年以上、彼の葉書を読んでいて、よく知っている人ような気になるが、彼のことはペンネーム以外は、年齢も住んでいる場所も分からない。もちろん名前も知らない。文面からして男性であることは間違いないだろうが、もしかしたら、女性が男を装って書いてるなんてこともあるかもしれない。考えてみると不思議な関係だと美樹は思う。
「僕は今日、ちょっとした冒険をしてみようと思います・・・」
 美樹はトリニティーの葉書にある文面を読んだ。
「もう2年くらい前、そう、この番組が始まった頃です。僕は大好きな彼女と別れてしまいました。ほんの些細なことで喧嘩して、何だかすれ違ってしまったんです。喧嘩の理由はもう覚えていません。あれからずっと考えていたのですが、僕は今でも彼女のことが好きなようです。どうにも忘れられないんですね。今日これから2人の思い出の場所に行ってみようと思います。だから、もし君がこのラジオを聴いていて、まだ僕のことを覚えていて、もし、もう1度、僕と会ってみたいと思ったら、2人の思い出のあの場所に来て下さい」
 美樹は一気に葉書を読んだ。昔の彼女への呼び掛けだった。今までの彼の葉書の内容からは想像も出来なかったロマンチックな内容だった。
「あら、素敵な提案ですね。トリニティーさん、彼女がこのラジオを聴いていてくださるといいですね」
 本当にそう思った。葉書を通してしか知らないが、彼は熱心なリスナーだったし、好感が持てる人柄のように感じていた。
「さて、リクエストは・・・あら、曲が書いてませんね。トリニティーさん、一大決心をしたから、緊張のあまり書き忘れてしまったんですね」
 リクエスト葉書にリクエスト曲を書き忘れるというのはめずらしい。本当に彼は自分の思いつきを葉書に書くということだけで相当に舞い上がってしまったのだろう。
「それじゃあ、この曲を聴いて下さい・・・」
 2年間続けている生放送である。これくらいのハプニングは軽く対処できる。

「お疲れ様でした」
 生放送が無事終わり、美樹はスタッフに挨拶をしてスタジオを出た。車に乗り込み、先ほどのトリニティーの葉書を思い出した。というか、放送中からずっと気になっていたのだ。美樹も彼と同じ2年ほど前、つきあっていた彼と些細な喧嘩がもとで別れてしまった。このラジオ番組が決まり、仕事が忙しくなっていたことも別れた理由の1つだった。あれから2年が経ったのだ。あっという間の2年間だった。今でも彼のことは覚えている。あの後、つきあった男性はいない。美樹はふと思い立ち、ハンドルを切った。

「やあ、久しぶり。やっぱり君だったんだね」
「トリニティー?あなただったの?」
 彼が微笑んで頷いた。美樹はトリニティーの葉書に刺激され、別れた彼との思い出の場所、2人が初めて会った喫茶店に来てみたのだった。
「リクエスト、書き忘れたわけじゃないよ」
 喫茶店の有線放送から、あの時2人が初めてここで会ったときに流れていた曲、思い出の曲、ゆずの「アゲイン2」が流れた。

                             了


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