まったくひどい世の中になったものだ。嫌煙権なんてことが主張されるようになったのは、ほんの数年前だっただろう。アメリカでは太っている人と煙草を吸う人は出世できないなんて話しも聞こえてきた。だから何だというのだ。何でもかんでもアメリカの真似をしていればいいのか。自分勝手な正義を振りかざし、力で世界を支配しようとしている国がやることなど知ったことではないではないか。2、3年前には会社の自席で煙草を吸うことができなくなった。1年前にはオフィスのビルの中に喫煙場所はなくなった。寒空の中、ビルの外に置かれた灰皿の前で、震えながら煙草を吸った。
電車のホームも禁煙になった。電車は当然のように2、3分遅れてくるくせに、ろくに謝りもしないで、その上、駆け込み乗車は止めましょうなどとのたまっている。だったら客が電車を待っている間に煙草も吸えないなんて、こんなふざけた話しがあるものか。喫茶店にも禁煙席なるものが出現した。喫茶店とは喫煙し、茶を飲む店のことだ。煙草が吸えなけらば喫茶店の存在意義がない。歩き煙草を取り締まる法律もできた。人混みで煙草を吸ってはいけないのは分かる。大多数の喫煙者は、人混みで煙草を吸ったりはしない。建物の中で煙草が吸えなくなったのだ。外で吸うしかないではないか。たまに路上に設置してある灰皿に紙屑を捨てる馬鹿は、きっと煙草を吸わないアホどもだ。灰皿はゴミ箱ではない。路上に煙草を捨てるのと、灰皿に紙屑を捨てるのとどちらが危険かということすら分からないのだろう。だいたい葉っぱで作られた煙草を地面に捨てて、それが土に帰らないということが本質的な問題ではないか。
煙草の値段はこの数年で3倍以上値上がりしている。すべて税金だ。これだけ余分に税金を払っているというのに、嫌煙権ばかりが主張され、喫煙権はまったくないがしろにされている。
肺ガンの何パーセントは喫煙者だとか、煙草は健康に悪いというのは、訳の分からない統計学の数字が元になている。未だに納得のいく医学的な説明をされたことがない。
環境汚染だの健康上の問題はすべて屁理屈だ。自分は車を乗り回し、排気ガスをまき散らしているではないか。そもそも人間の存在自体が地球の環境に悪いのだ。本当に環境汚染を考えるならば、すべての文明を捨てるべきだ。いくら体に悪いといわれても、好きなものは平気で食うではないか。すべての煙草を嫌う人は単に自分が煙たいとわがままを言っているにすぎないのだ。
それでも喫煙者はじっと我慢してきた。煙草には精神を安定させる効果がある。だから耐えられるのだ。煙草を吸わない人はヒステリックに嫌煙権を叫び続けた。彼らも煙草を吸えば、少しは情緒は安定すると思うのだが。
しかし、もうさすがに限界だ。今や、煙草を吸える場所はほとんどない。それでも俺は自分の家を持っているからまだ何とかなる。庭で吸えばいいのだ。もちろん妻に隠れて吸わなければならない。煙りが隣家にもれないように空気清浄機も設置した。
マンション住まいの人など、ベランダで吸っても煙りが来ると隣から文句が出る。当然、喫煙者は激減した。それでも俺は頑張った。こんな状況で絶対に煙草を止めてなるものかと踏んばっている。
今や、煙草を吸うなどというと犯罪者を見るような目で見られる。ところが、天は我を見放さなかった。状況が一変したのだ。
煙草が悪いなどという事実はないことが医学的に証明された。そして煙りにまったく匂いがなく、味も変わらない煙草が開発された。ハリウッド映画の大作で、超人気俳優が煙草を吸うシーンが格好いいということで、大変な話題になった。一気に煙草が脚光を浴び、一点して喫煙ブームとなった。猫も杓子も煙草を吸うようになった。
「あなた、部屋で煙草を吸ってもいいわよ」
妻に言われた。そういう妻も煙草を吸うようになった。俺は待ってましたとばかりに答えた。
「俺は禁煙することにしたよ。ああ、君は構わず吸ってくれ、俺は人が煙草を吸う権利まで邪魔するような心の狭い男じゃないからね」
了