Vol.65   フーコー鳥

「フーコー」
 というかすかな鳴き声を聞いた。
「ちょっと止めてくれ」
 運転手は慌ててブレーキを踏んだ。
 しかし、もう鳴き声は聞こえなかった。気のせいだろうか。こんな街中で、しかも密閉された車の中で鳥の鳴き声など聞こえるはずはなかった。
「社長、どうしました?」
 運転手がいぶかしげに振り向いた。
「いや、いいんだ。行ってくれ」
 運転手は不思議そうな顔をしながらも前に向き直り、車を走らせた。
 確かに、フーコーという鳴き声を聞いた。それまでまったく忘れていたことだ。気のせいではない。しかし、こんなところにフーコー鳥なんていうものがいるはずはないと理解できるほど私は大人になっていた。そしてあの頃の記憶が蘇った。

 夏休み、小学生の私は祖父母の家で過ごした。都会育ちの私は田舎での夏休みが楽しくて仕方が無かった。高学年になると、両親が東京に帰っても一人残って祖父母の家で夏休みを過ごすようになった。ちょっとした冒険をしているような気分だった。
 その田舎の噂話しにフーコー鳥が出て来たのだった。フーコーという甲高い声で鳴く、青い小さな鳥で、その姿を見たものは幸せになれるという。
 祖父母の近所の家にフーコー鳥の羽根を持っている人がいると聞いて、わざわざ見せてもらいに行った。綺麗なライトブルーの羽根を見て、私は何としてもフーコー鳥を見たくなった。
「フーコー鳥は昔、とても怖い目に遭って、全身が真っ青になってしまったんだよ。それ以来、とても用心深くなって、滅多に人の前に姿を見せなくなったんだよ」
 祖父がそんな話しを聞かせてくれた。
 私は毎日、野山を駆け巡り、フーコー鳥を探した。何のあてもなかったし、もちろんフーコー鳥の羽根一枚さえ見つけることは出来なかった。
 ただ、おかげで新学期に学校に行くと、私はいつでもクラスの誰よりも日に焼けて真っ黒だった。
「おじいちゃんはフーコー鳥を見たことあるの?」
 ある日祖父に尋ねてみた。
「いや、ないよ。でも、おじいちゃんは、お前が毎年、夏休みに遊びに来てくれるから充分に幸せだよ。わざわざフーコー鳥を見る必要はないよ」
 そんな祖父の笑顔を見ると、私も幸せな気分になった。

 中学に入ると部活やら受験勉強やらで、自然と田舎から足が遠のいていった。高校、大学と進めばなお更だった。
 大学二年のとき、祖父が亡くなった。そして社会人となって三年目に祖母が亡くなった。それ以来、田舎には行っていなかった。
 見れば幸せになれるというフーコー鳥の姿を見ることは出来なかった。しかし、私は社会的には大成功を収め、社長と呼ばれ、運転手付きの車に乗るという身分になった。充分に幸せといえるだろう。
 ただ、フーコー鳥を求めて無心で野山を駆け巡ったあの頃が、私にとって一番幸せといえる時だったのではないか。ふと、そんな気がした。

                             了


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