Vol.58   どいつもこいつも

「一生のお願い」
「そんなこと言ったって・・・」
 今まで彼女の一生のお願いを何度聞いたことだろう。
「だって君は・・・」
 彼女に貢いで、僕の全財産は底を付いてしまった。平凡なサラリーマンだから、大した額ではなかったが、あまり遊びもせずにコツコツと貯めていたお金が、彼女と知り合ってから半年の間にパーになってしまった。そればかりではない。今では数枚のカードで借金も抱えており、にっちもさっちもいかない状態だ。
 挙句の果てに、彼女は取引先の御曹司と結婚が決まった。僕は彼女と同じ会社の同僚なので、相手のことも知っている。二枚目で金持ちで、僕など足元にも及ばない。女子社員の誰もが羨んだ玉の輿だ。
 彼女にいいように利用されているだけではないか。それは実は分かっていた。しかし、惚れた弱みでどうしようもなかったのだ。
「お願い。あなたしか頼れる人がいないの」
 結局、散々貢がされて、ポイである。もう彼女のお願いを聞くいわれはない。しかし、僕には分かっているのだ。僕が彼女に対して否と言えないことを。もちろん彼女も分かっている。だから僕に言ってくるのだ。
「分かったよ。何とかする」
 僕はそう言って、電話を切った。でも、百万円なんてお金を一体どうやって作ればいいのだろう?
 彼女のお願いはこういう話しだ。例のフィアンセから婚約指輪をもらった。百万円もするもので、彼の母親から譲り受けた大切なものだ。そして一週間後、その彼の母親と初めて会うことになったので、指輪をしていかなければならない。ところが、その大切な指輪をなくしてしまったというのだ。そこで同じ指輪を僕に買ってくれというわけだ。
「ありがとう。絶対に返すから」
 彼女は買ってくれとは言わなかった。貸してくれと言っていた。今までだってそうだ。そして必ずそう言っていた。しかし、今だに彼女が僕に返してくれたものはない。これから返ってくるはずもない。僕が金を出す筋合いはまったくない。百万もの大金を手にする当てもまったくない。それでも何とかしなければならないのだ。
「そう、この指輪よ。ありがとう。この恩は一生忘れないわ」
 僕は彼女に指輪を渡した。百万のお金は結局、作れなかった。だから指輪を渡した。イミテーションの指輪を。それだって作るのに数万円もしたのだ。今の僕には痛い出費だった。素人目にはまったく本物に見える。彼女も気づかなかった。彼女の母親だって気づかないはずだ。

「あー、助かったわ。今度ばかりはもう駄目かと思ったけど。あの男も馬鹿よね。こんなことしたって、私は他の男と結婚するのに」
 彼女は一人になって、つぶやいた。はめた指輪を眺めながら。指輪をなくしたというのは嘘だった。実は借金の形に取られたのだ。自分が彼にふさわしい男でないことは分かっていた。皆が言うように最高の玉の輿である。逃す手はなかった。だから着飾ったり、エステに通ったり、給料をはるかに越える投資をした。生活費にも困るようになった。貢ぐ君も活用した。それでも足りなかった。同僚に借金を申し込んだ。彼女は貢ぐ君ほど甘くはなかった。私が借りたお金を返さないだろうことを見抜いていた。しっかりと指輪を押さえられてしまった。彼から指輪をもらったとき、彼女にも散々自慢したから、指輪のことを知られていたのが間違いだった。
 もう結婚も決まって、今度ばかりはさすがに駄目かと思った。でもあの男に頼るしかなかったのだ。もう貯金など残っていないはずだった。借金もあるだろう。どうやってあの指輪を手に入れたのだろう。まあ、それはどうでもいいことだった。とにかくこれで何とかなるだろう。

「えつ、でもあいつ、ちゃんと指輪をはめていたぜ」
 彼女も彼のことは知っていた。女子社員全員の憧れの的だったのだ。彼女の結婚を嫉んでもいた。彼女が彼にふさわしいような女でないことも知っていた。彼女が借金を申し込んだという事実を彼に報告しない手はなかった。証拠の品として指輪を押さえておいたのだ。これで結婚話しが壊れるようなことになればいいと思っていた。そして彼に取り入り、自分が結婚できれば最高だ。しかし、彼の反応は意外と素っ気無かった。しかも彼女は指輪をしていたという。一体どういうことだろうか?

「まあ、人のことは言えた義理じゃないしな」
 彼は、彼女がどんなにひどい女性であるかを聞かされてもさほど驚きはしなかった。ルックスと財力に恵まれた彼は、女性とは散々遊んできたから、女性がどんなものかも分かっている。彼女に裏の顔があったとしても何ら不思議ではなかった。
 それにあの指輪はイミテーションなのだ。本物の指輪は別の女にあげてしまっていた。だから指輪のことなどどうでもよかった。自分は彼女をとやかくいえるような男ではないのだ。

「やっぱり大した女じゃなかったわね」
 彼女は指輪を眺めながらほくそえんでいた。  母親というものはいつまでたっても自分の息子が可愛いものだ。その可愛い息子が連れてきた結婚相手など表面上はいくらでも優しく接することはえきたが、内心では絶対に認められなかった。
 代々、母親から譲られてきた大切な指輪をあんな女に渡すわけにはいかなかった。だからイミテーションを渡した。本物は自分が天国に持っていくと決めていた。
 しかし、彼女は知らなかった。彼女が嫁に来たときにもらった指輪も既にイミテーションであったことを。 

                                  了


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