Vol.57   焼肉定食

「本当に間違いないんだろうな?」
「ああ、確かな話しだ」
 同僚は自信ありげだった。入社して十年以上、長い付き合いである。いいかげんな男ではないことは分かっている。信用出来る筋から仕入れた情報なのだろう。だからこうして彼の後に付いて来たわけだが、しかし、俺には今時、肉の料理を出す店があるなんて、やはり信じられなかった。
 食料事情はこの十年ほどで瞬く間に悪化した。人口の増加、老齢化に加え、乱開発による環境汚染も深刻だった。地球上に動物が住めるような場所はなくなってしまった。食肉の値段は急騰し、とても庶民が口に出来るものではなくなったのが数年前だ。そして今や、どんなに偉い奴が大金を積んでも肉など食えなくなってしまった。
 肉ばかりではない。植物が育つ環境すら、ほとんどなくなってしまった。わずかばかりの食料を増え過ぎた人々が醜い争いをしながら、取り合っている状態だ。誰もが飢えていた。栄養失調で次々に人が死んでいく。人類の滅亡もそう先のことではないと思われる有様だ。人様のことより、まず俺がいつ飢え死にするか分からなかった。
「おい、焼肉定食が食える店があるそうだ」
 そんなところへ、同僚がこの話しを持って来た。しかも、値段は俺の給料の1ケ月分程度。たとえ信じ難くとも、飛びつきたくもなるものだ。
 同僚の後に付いて店に向かった。どんどんと路地の奥に入って行く。非常に分かりにくかったが、俺は必死で道順を覚えた。もし本当の話しならば、家族を連れて来たい。女房と子供も痩せ衰え、いつ死ぬか分からない状況なのだ。
「ここだ」
 同僚が一軒の建物の前で止まった。看板など出ていない。定職屋など今や存在しないのだ。まともに考えれば、人に食わせる食料などあるはずはなかった。誰もが自分が生きていくだけで必死なのだ。
「いらっしゃい」
 中には一人のよく太ったおばちゃんがいた。昔なら、中年の小太り程度だろうが、誰もが飢えている時代だ。こんなに太った人を最近では見たことがなかった。
 テーブルが置いてあり、カウンターもあった。中には厨房もあった。何年か前に見た定食屋の雰囲気だった。俺は懐かしさに涙が出そうだった。本当に焼肉定食が食えるかもしれない。
「焼肉定食があると聞いたのだが・・・」
 同僚が口を開いた。期待で胸が高鳴った。
「ああ、皆よく勘違いするんだよ」
 おばちゃんの返答は俺を失望させた。同僚の顔にもはっきりと失意の念が浮かんだ。やはり間違いだったのか。しかし、おばちゃんはすぐに続けた。
「焼肉定食じゃなくて、弱肉強食だよ」
 おばちゃんは不気味な笑みを浮かべた。
「あんたらが決闘をして、勝った方が負けた方を食べる。まさに弱肉強食だよ。自然界の法則だね。心配はいらないよ。私がお好みに合わせて料理してやるよ。もちろん食べきれなければテイク・アウトもOKだよ。全部食べてしまうわけだから、死体は残らず、殺人の罪にも問われないよ」
 おばちゃんは平然と恐ろしいことを言ってのけた。しかし、こんな時代なのだ。実際に食べ物を取り合った殺人事件も数多く起きている。
「どうするかね?やるかい?やめるかい?武器もここに用意してあるから好きなものを使っておくれ」  俺は戸惑った。いくら何でも人を殺してその肉を食うなんてことは・・・。
 その瞬間、同僚の顔つきが変わった。おばちゃんが用意した包丁をつかむと、いきなり俺に切りかかってきた。
「うわ、何をする」
 腕に鋭い痛みを感じた。血が流れ出した。同僚の顔はもはや正気を失っていた。俺もナイフをつかみ、やり返した。おばちゃんは巻き込まれては大変とばかりに、厨房に引っ込んだ。
 人と殺し合うなんて、もちろん初めてのことだから、勝手が分からない。俺はただ闇雲にナイフを振り回した。
 何度も同僚の体を刺した気がする。そして何度も刺されたようだ。俺も正気を失っていた。
 同僚が倒れて動かなくなった。しかし、俺ももはや動けなかった。だんだんと目の前が白くぼやけていった。ああ、俺は死ぬのだな。薄れゆく意識でそう思った。悲しいとか、悔しいとか、何も感じなかった。ただ自分が死ぬのが分かっただけだ。
 厨房からおばちゃんが出て来た。
「だいたいこうなるんだよね。素人同士が殺し合うと。これでまた当分、食料には困らないね。最初は勝った奴の取り分を少しだけちょろまかせればいいと思っていただけなんだけどね。大抵二人とも死んでしまうんだよね。まったくいいことを思いついたもんだ。漁夫の利ってやつだね」

                                  了


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