Vol.52   訪問者

 ピンポーン。チャイムが鳴った。面倒な客でなければいいが、私は思い、立ち上がった。
 土曜日で会社は休み。妻は実家に用事があって、娘を連れて朝早く出掛けて行った。夜まで完全に自由な時間なのだ。昼近くまで寝て、起き出し、妻が用意していってくれたもので食事をし、さて、これから何をしようと思っていた所だった。
 音を立てずにドアの近くまで行き、覗き穴から外を見た。何かの勧誘のような面倒な客だったら無視するつもりだった。
 ドアの前には誰も立っていなかった。なんだ、いたずらか。そう思っていたら、再びチャイムが鳴った。しかし、ドアの前には誰もいなかった。不思議に思って、ドアを開けた。
「いやー、突然すいません」
 そこには一匹のカエルが立っていた。
「ずいぶんとご無沙汰してしまいました。挨拶にうかがわなければと思ってはいたのですが、ついつい野暮用に追われまして」
 言いながら、カエルは部屋に上がり込んできた。ずいぶんと大きなカエルだった。それでもなにぶんカエルなので、人間でいえば幼稚園児の娘と同じくらいの大きさだ。覗き穴からでは姿が見えないはずだ。
 でも、なぜチャイムが押せたのだろう。私はふと疑問に思ったが、ピョンピョンと廊下を飛び跳ねるカエルの姿を見て納得した。なにせカエルだから、ジャンプはお手の物だ。飛び上がってチャイムを押すくらい造作もないだろう。
「あ、お構いなく。すぐ失礼しますから」
 カエルが訪ねてくるなどとは予想もしていなかったし、どう扱っていいものか分からなかったが、とりあえず、お茶を出した。
「いやー、本当にあの節はお世話になりまして、今日は、ずいぶん遅くなってしまいましたが、お礼にうかがったわけでして」
 あの節とは何の節なのかまったく分からなかった。こんなカエルに会った覚えもなかった。取りあえず、カエルは私に好意を持っているようだし、長居をする気はないようなので、安心した。
「これはほんのお礼の気持ちです。いえいえ、つまらないものですからどうかお気にしませんように」
 カエルは小さな箱を差し出した。私は遠慮したわけではなかった。戸惑っていただけだ。しかし、カエルは私が遠慮していると勘違いしたようだ。
「どうぞお納め下さい。今日は突然すいませんでした。これで失礼致します。お茶をどうもご馳走様でした。おいしかったです」
 カエルは逃げるように帰って行った。ずいぶんと礼儀正しく、慌ただしいカエルだった。
 私はケルが置いていった箱を開けた。中には本当につまらないものが入っていた。しかし、それは私にとってつまらないもので、カエルにとっては本当はたいそうなものなのだろうと思えた。
 そして私は突然、思い出した。あのカエルには昔、会ったことがある。あれはもう十年近く前だろう。公園の池で子供たちにいたぶられていたのを助けてあげたカエルだった。あんなに大きくはなかったし、もちろん言葉も話さなかったが、確かにあのカエルだ。
 知り合ったばかりの頃の妻と一緒だった。妻が助けてあげてと言ったのだ。今ではおもかげもないが、あの頃は妻は若くて、優しくて、可愛かった。
 私はとても懐かしい気分になり、妻のことが愛しく思えた。帰って来たら、娘も連れて、久しぶりにうまいものでも食べに行こう。
 突然現れたカエルのおかげで、ちょっぴりハッピーな気分の休日になった。

                                  了


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