Vol.50   生まれ変わっても

 今までで一番哀しかったこと。それはシロが死んことだ。子供の頃、家で飼っていた。小さな白いメス犬だった。どこかからふらりとやって来て、いつの間にか住み着いた。特に俺によく懐いた。俺は学校から帰るとずっとシロと一緒に遊んでいた。それが3年ほどつづいただろうか。ある日、シロが病気になった。そしてあっけないほど簡単に死んでしまった。俺は何日も泣き暮らした。以来、犬だけでなく、ペットは一切飼わなくなった。

 今までで一番楽しかったこと。それはあの人と一緒だった3年間。あの人はとても優しかった。私は犬だから、人間であるあの人に自分の気持ちを言葉で伝えることはできない。でも、あの人が大好きだった。あの人と一緒に遊んでいると、本当に楽しくて、時間が経つのを忘れてしまった。私の命はもうすぐ終わろうとしているようだ。私は最後のときをあの人と一緒に過ごせて、とても幸せだった。人間と犬の一生には大きな違いがある。今度、生まれてくるときは、あの人と同じ人間として生まれてきたい。

 時は流れ、俺は大人になった。もうあの頃のことは遠い記憶の彼方だった。こうして生きているわけだからシロとの別れからも立ち直ったわけだ。大学を出て、就職し、東京に出て来た。シロのことは今でも時々、思い出す。いや、ただ日々のいそがしさに紛れてしまっただけで、一時も忘れたことはなかった。シロのしぐさ、鳴き声、すべては今でも覚えている。そして、時々、懐かしく思い浮かべる。
 東京に出てきて10年以上。いろいろなことがった。今、思えば、何も考えず、シロと遊んでいた子供の頃は本当に楽しかった。会社では楽しいことだけではなく、嫌なこともたくさんあった。それが大人になるということなのだろうが。
 恋もした。哀しい別れもあった。三十代も後半となり、まだ結婚はしていないが、別に特別な理由があったわけではない。ただ、そういう相手に巡り会えなかっただけだ。そして今、やっと一生を伴にするような女性と出会えた気がしていた。
 彼女とは十歳近く年が離れている。友人からはそのことでからかわれる。しかし、年齢など関係ない。彼女と一緒にいると、とても安らいだ気持ちになれるのだ。俺も彼女も口数が多いほうではなかったから、一緒にいても何も話さず、ただぼうっとしていることも多い。でも、それが少しもきまずくないのだ。たまに目を合わせ微笑み合う。それだけで幸せな気持ちになれた。ずっと昔に感じたことがある懐かしい気持ちになれるのだった。
 私は彼と一緒にいると幸せで仕方がない。初めて彼に会ったときから引かれるものがあった。彼は特に格好いいというわけでもない。お金持ちでもない普通のサラリーマンだ。初めて会ったのに昔から知っているようなとても懐かしい気がした。
 私は恋愛には積極的な方ではなかった。彼のことが好きになったが、自分の気持ちを伝えるなんてとんでもないことだった。それでも何となく彼の近くにいるようにした。そして彼も何となく私を受け入れてくれた。二人ともお互いの気持ちを正面から打ち明けたことはない。でも、お互いの気持ちは分かっていた。
 彼女と一緒にいるときに感じる不思議な暖かい気持ちは何だろう。ずっと考えていたが、ようやく分かったシロと一緒にいたときの気持ちだ。そういえば彼女はシロに似ている。どこがというわけではない。何となく雰囲気が似ている。
 昨夜、おかしな夢を見た。彼はまだ子供で、私は小さな白い犬だった。今と同じように、犬の私は彼と一緒にいることが楽しくて仕方がなかった。ただの夢とは思えなかった。とても懐かしい想い出のような気がした。もしかしたら、私の前世はあの白い犬だったのかもしれない。今度、彼に聞いてみよう。子供の頃、小さな白い犬を飼っていなかったかと。

                                  了


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