Vol.48   現実頭皮

「これ誰の髪の毛よ」
「いや、それは、この間さ、友達が・・・」
「この長さは女よね」
「いや、そいつロックをやってて髪の毛が・・・」
 恋人同士が、こんな修羅場に陥ることはままあることで、当の男にすれば恐ろしいシチェーションなのでしょうが、今、私が置かれている奇妙な、恐ろしい状況に比べればたいしたことではありません。
 この不思議な現象が起こったのはニケ月ほど前のことだったでしょうか。ある朝、目覚めたときのことでした。
「何だ?」
 ベットに大量の髪の毛が落ちていました。その時は少し寝坊して、会社に遅刻しそうだったので、たいして気にもせず、慌てて部屋を出ましたが、思えばそれが始まりだったのです。
 それから私は髪の毛に取り憑かれてしまったのです。ある時は背広のポケットから大量の髪の毛が出てきたり。またある時は風呂に大量の髪の毛が浮かんでいたり。一本や二本なら分かりますが、大量の髪の毛なのです。正確に数えたことはないので百本とか二百本という数なのです。それだけの数の髪の毛が覚えもないところに頻繁に出現されると、非常に不気味なものがあります。
 ある時、食事をしていて、ご飯を食べようとしたら、箸でつかみ上げたお米と一緒に大量の髪の毛がぶら下がっていました。あやうく不気味な髪の毛を口にいれてしまうところでした。私は箸と茶碗を放り出し、大きな叫び声を上げてしまいました。
 さすがにもう耐えられなくなり、私はいろいろな方に相談しました。怪奇現象ということで、祈祷師の方とか、霊媒師の方とか、かなり怪しげな人たちにもいろいろやっていただきましたが、この現象はまだ治らないのです。
 そしてある方に、あなたに相談してみたらどうだろうかというアドバイスを受けまして、今日はこうしてうかがったわけです。

「ふむ」
 私の話しを黙って聞いていた先生が、ゆっくりと頷きました。
「このいたるところに髪の毛が出現する怪奇現象はニケ月ほど前から起こっているのですね?」
「ええ」
「それ以前のあなたの写真はありますか?」
「ええ−−あ、はい、運転免許を半年ほど前に更新しましたから、免許証の写真があります」
「免許証は今、お持ちですか?あれば、見せて欲しいのですが」
 私はポケットから免許証を取り出し、先生に渡しました。
「あなた、普段、鏡を見ますよね?」
「え、ええ」
 以外な質問に戸惑いましたが、当然、私も鏡くらいは見ます。
「それで、何か違和感はありませんか?」
「いえ、特に」
 私はナルシストではありませんから、そんなに鏡をしげしげと覗き込むようなことはしませんが、特に何も感じることはありませんでした。
「分かりました。この現象はあと一週間もすれば終わりますよ」
 それで私の診察は終わりました。何だか腑に落ちないものでしたが、とりあえず、私は礼を言って部屋を出ました。結局、いかがわしい霊媒師と一緒で、この先生も当てにはならなかったかと軽い失望を覚えましたが、もう慣れっこになっていました。
 怪奇現象はやはり、治まりませんでした。それでも一週間といわれたので、しばらく待ってみることにしました。
 そして一週間後、不思議な髪の毛はぴたりと現れなくなりました。半信半疑でさらに一週間ほど過ごしましたが、怪奇現象は二度と起きませんでした。

「先生、ありがとうございました」
 私は早速、先生のところに報告に出かけました。
「治まりましたか?もう大丈夫です」
 先生も保証してくれました。
「一体、この現象は何だったのでしょう?私には何かが取り憑いていたのでしょうか?」
「そうですね・・・」
「何が取り憑いていたのですか?魔物の類ですか?」
 平和な生活が戻ってはきたものの、何故こんなことになったか、出来るものなら理解しておきたいところです。
「取り憑いていたとすれば、それは現実逃避という魔物です。本当にその憑き物を落すなら、あなたは現実をしっかりと見つめなければなりません」
 この先生は何を言っているのか、私には分かりませんでした。
「よく聞いて下さい。あなたの頭にはもう髪の毛が一本も残っていません。すべてあなたの抜け毛だったのです。もう一度、鏡を見て下さい」
 先生に差し出された鏡には、確かにつるっぱげの私が映っていました。怪奇現象でも何でもなかったのです。私は現実逃避をしていただけなのでした。そして心理カウンセラーの先生を訪れたことは大正解だったのでした。

                                  了


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