Vol.39   少年と小犬

 ある日のことでした。少年は窓からぼんやりと外を眺めていました。少年の病室は二階にありました。長い間、入院しているので他にすることもなく、あまり大きくはないけれど緑に囲まれた病院の庭を見るのが少年の唯一の楽しみでした。
 木の下に、一匹の白い小犬がいました。何処から紛れ込んだのでしょう。テレビや絵本で見たことはありましたが、本物の小犬を見たのは少年にとって初めてのことでした。
 小犬もこちらに気づいたようで、小さな目で少年をじっと見上げています。その目はとても悲しげで、少年に何かを訴えているようでした。
「お腹が空いているのかな」
 ちょうどお昼ごはんの時間で、病院の食事が枕元に置いてありました。少年は一切れのパンを手に持つと、ベットから起き上がりました。
 少年はとても重い病気にかかっているので少し歩くだけでも一苦労です。滅多に病室の外にも出ません。それでも小犬のそばに行きたくて、ゆっくりとした足取りで階段を降り、庭に出ました。
 だいぶ時間がかかってしまったので、小犬がまだいるかどうか心配でしたが、木に近づいて行くと、小犬が姿を現し、少年に近寄って来ました。
 少年がパンをあげると、小犬はクーンと嬉しそうな鳴き声をあげて、パンを食べました。少年は初めて間近で小犬を見たので、少し恐かったのですが、思い切って頭をなでてやりました。すると小犬が少年に甘えるように擦り寄って来たので、少年はすっかり嬉しくなってしまいました。
「もう行かなきゃ」
 本当はずっとこうして小犬と一緒にいたかったのですが、少年が黙って病室を出て来たことに病院の人が気づくと心配をかけてしまいます。少年は手を振って、小犬から離れました。
 小犬はじっと少年の方を見ていましたが、後をついては来ませんでした。
 ゆっくりと階段を登り、病室の窓から庭を見ると、まだ子犬がこちらの方を見ていました。
「バイバイ」
 少年がもう一度手を振ると、ようやく小犬は何処かに歩いて行きました。
 次の日のお昼、少年が窓から庭を見ていると、昨日の小犬が現れました。少年はまたパンを持ち、小犬のところに降りて行きました。
 それから毎日、小犬が姿を現すようになり、少年ともすっかり仲良しになりました。少年にとってはその小犬が唯一の友達でした。
 毎日、お昼のパンをあげてしまうと、少年の分がなくなってしまいます。でも、少年は密かな楽しみとして小犬のことを誰にも話しませんでしたが、病院の人たちは少年が小犬にパンをあげていることに気づいていました。だからお昼にはパンを二つ出してくれていたので心配ありません。
 実は少年の病気はとても悪くて、もう治らないのです。あと何日生きていられるかも分かりませんでした。 だから、お医者さんたちが相談して、少年の好きなようにさせてあげることに決めたのでした。
 病院の人たちは少年には話していませんでしたが、少年は自分の病気が治らないことを知っていました。
 死ぬということがどういうことか、少年にはよく分かりませんでしたが、病院のベットで寝ているだけの退屈な毎日から解放されるのなら、それほど悪いことでもないと思っていました。
 しかし、今となっては、もし自分がいなくなったら、パンをもらえなくなった小犬がどうなってしまうのか、それだけがとても気がかりでした。
 そしてある日、少年の様態がいよいよ悪くなりました。もう体を動かすことも辛いほどでしたが、少年は最後の気力を振り搾って小犬にパンを運びました。
 小犬の頭をなでてやり、そのまま気を失って倒れてしまいました。陰で心配しながら少年を見守っていた看護婦さんが、慌てて少年のもとに駆けつけました。少年はすぐに病室に戻され、お医者さんも飛んで来ました。

 少年が目を覚ますと、お医者さんが微笑んでいました。
「もう大丈夫だよ。君の病気は治ったんだよ」
 もう治らないと思われていた重い病気がどういうわけか本当に治ってしまったのです。
 しかし、その日以来、あの小犬は姿を現さなくなりました。
「きっと小犬があなたの病気を持って行ってくれたのよ」
 看護婦さんはそう言いました。本当にそうなのかもしれません。でも、少年は病気が治って嬉しいと思うより、小犬と会えないことが悲しいと思っていました。

                                  了


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