「やっぱり変だわ」
ここ2、3週間だろうか。久美子はいつも誰かに見られている気配を感じていた。今、流行のストーカーだろうか。
だからこうして一人で夜道を歩くのは怖かった。なるべく早く帰るようにしていたのだが、仕事でどうしても遅くなってしまった。小さな会社に務めるOLでは駅から近くのマンションは家賃が高すぎる。
この辺りの道が一番人通りが少なく、寂しいところだ。自然と歩みが早くなる。
コツコツ・・・。後ろから足音が聞こえた。気になって振り向いてみたが、人の姿はなかった。気のせいかしら−−−久美子は気を取り直して歩きだした。すると・・・。
コツコツ・・・。また足音がした。驚いて振り向いたが、誰もいない。さすがに気味が悪くなって、久美子は走り出した。自分の部屋に駆け込み、乱れた息を整える。きっと気のせいだ。怖いという気持ちがあるから何かの音が足音に聞こえたのだ。久美子は自分にそう言い聞かせて気持ちを落ち着かせた。
翌朝、久美子は気分が優れなかった。昨夜はいろいろなことが気になってよく眠れなかった。会社に電話をして休むことにした。
冷蔵庫を開けてみたが、ろくなものが入っていなかった。コンビニにパンを買いに行くことにする。ゴミの回収日であることを思いだし、ついでにゴミ袋を持って部屋を出た。
コンビニから帰った久美子は、ふとゴミ捨て場に目をやった。久美子が出したゴミ袋が口を開けていた。誰かが中身を荒らしたのだ。久美子はゾッとした。やはり誰かが自分をストーキングしているのだ。
部屋に入ってコンビニの袋を机の上に置いた。お腹が空いていたのだが、もう食欲もなくなってしまった。
プルルルル−−−突然鳴り出した電話の音に心臓が止まるほど驚いた。
「はい」
女の一人暮らしだからうかつに名乗らないようにしている。
「・・・」
相手も何も言わなかった。
「もしもし」
久美子が呼び掛けても、やはり返答はない。電話が切れた気配もなかった。
重苦しい沈黙が続き、久美子は耐えられなくなって電話を切った。嫌な気分だった。
その日を境にストーキング行為が激しくなった。昼夜を問わず、会社にも自宅にも無言電話がかかってきた。道を歩けば、誰かにつけられている気がするし、何処にいてもふと誰かの視線を感じることがあった。
久美子は食欲も落ち、夜も眠れず、わずかな物音にもびくつくような状態で、ノイローゼになる寸前だった。これ以上はもう耐えられない。
それでも仕事を休むわけにはいかないから出勤していた。逆に職場の仲間と一緒にいられるほうが安全に思えた。残業はしないようにしていた。夜道の一人歩きはしたくない。しばらく友人の家に泊めてもらうことも考えていた。
この日も定時に退社し、真っ直ぐに家に帰って来た。マンションに入り、エレベーターに乗り、久美子の部屋のある4階で降りる。部屋の前に一人の男の姿があった。男はドア越しに部屋の中の様子を窺っていたが、エレベーターの止まる音に気づいたのか、こちらに振り向いた。
一瞬、久美子と目が合ったが、すぐに階段を駆け下りて行った。久美子は後を追おうかとも思ったが、とても追いつけそうになかったし、危険を冒すこともないと思い直した。
見知った顔だった。もう5年ほど前のことだろうか、久美子がまだ大学生だった頃、同じ大学に通っていた男子だった。もう名前も覚えていない。言い寄られたことがあった。何か神経質そうな男で、久美子は気味悪く思って冷たくあしらってしまった。
まさかあの男が今頃になって再び現れるとは、久美子は思いもしなかったのだ。しかし、ストーカーの正体が分かったことで久美子は少し安堵した。
しばらく様子を見ることにした久美子だったが、相変わらず無言電話がかかってくるし、誰かに見られている気配が消えない。ストーキング行為はかれこれ1ケ月にも及ぶ。久美子は警察に相談することにした。男のことも話した。
数日後、一人の刑事が久美子の部屋に訪れた。
「あの男のことですが、何かの勘違いではないですか?」
刑事は意外なことを言った。久美子はあのとき、ほんの一瞬ではあったが、はっきりと男の顔を見ていた。見間違えではないと確信できた。それまで男の存在すら忘れていたのに顔を見て思い出したのだ。勘違いであるはずはなかった。
久美子はそのことを刑事に告げた。
「そうですか。しかし、彼は亡くなっているんですよ。1ケ月ほど前のことです。自殺でした」
刑事の言葉を聞いて、久美子は気が遠くなった。
了