Vol.17   寝返り

 とても蒸し暑い夜でした。誰もが寝苦しい思いをしていました。仁君もその一人です。仁君は受験生なので夜遅くまで勉強していました。ベットに入ったのは二時過ぎでした。しかし、あまりの暑さで、もうすぐ朝の五時になろうとしているのに眠れません。仁君は苛立ち、寝返りを打った拍子にベットから落ちてしまいました。
「痛っ!」
 受験生の仁君は、ベットから落ちるなんて縁起が悪いと思いながら立ち上がりました。しかし、驚きのあまり立ち尽くしてしまいました。何とベットにはちゃんと仁君が寝ていたのです。
「ど、どういうことだ?」
 仁君は自分の目を疑いました。しかし、ベットに寝ているのは紛れもなく仁君自身なのです。そして、夢ではないかとほっぺたをつねってみて、さらに驚いてしまいました。指が頬を突き抜けてしまったのです。といっても指が頬の肉を突き破ったわけではありません。痛くもなければ血も出ません。頬も指も実態がなく、まるで幽霊になったようです。
 仁君はうろたえて、部屋の中を意味もなく歩き回りました。本棚も洋服ダンスも突き抜けて。霊体離脱してしまったのかと思い、自分の体に入ろうとしましたが、やはりスッとすり抜けてしまいます。
「仁、起きなさい。遅れるわよ」
 やがて朝になり、お母さんの声がしました。いくら呼んでも仁君が起きないので、お母さんが部屋に入って来て、ベットで寝ている仁君を揺すりました。
「仁ったら、起きなさい。どうしたの?」
 お母さんは何度も呼びかけましたが、仁君の体が目を開ける気配はありません。
「あなた、早く来て。仁の様子が変なのよ」
 ようやくお母さんも仁君の異常に気づき、お父さんを呼びました。
「どうした?」
 お父さんがやって来ました。仁君が目を覚まさないとお母さんから聞いたお父さんは、最初のうちはのんびりしていましたが、いくら揺すっても本当に仁君が目を開けないので、かなり慌てた様子になりました。
「おい、息をしていないぞ」
「それじゃ、仁は死んだんですか?」
 遂に二人はそんなことを言い出しました。仁君は、僕はここにいると何度も大きな声で叫びましたが、その声はお父さんとお母さんには聞こえないようです。
「とにかく医者を呼べ」
 お父さんが言いました。仁君は、寝返りを打った拍子に自分の魂が体から抜け出してしまったのだろうと考えていました。だから何度も体に戻ろうとしましたが、通り抜けてしまいました。
 医者がやって来ました。仁君の体を調べていましたが、やがて低い声で仁君が死んでいることを告げました。お母さんが泣き出しました。仁君も泣きたい気分です。
 自分は本当に死んでしまって、幽霊になったのだろうか。仁君は考えましたが、そんなはずはないと思いました。何とかして体の中に戻りたい。そう思いました。
 しかし、どうすることも出来ないうちに、仁君のお通夜の準備が進められました。今や仁君の体は棺桶の中です。仁君はただ棺桶の回りを彷徨っているしかありませんでした。クラスメートや親戚の人たちも集まって来ました。
「僕は生きているよ!ここにいるよ!」
 仁君は一人一人に訴えましたが、その声は誰にも聞こえないようで、みんな仁君のことを通り抜けて行ってしまいます。
 仁君の体を入れた棺桶は、お父さんとお母さんに付き添われて、火葬場に向かいました。仁君も棺桶に寄り添っています。
 早く何とかしなくては。仁君は焦りました。このままでは自分の体が焼かれてしまい、二度と戻ることは出来なくなります。しかし、どうにもならないうちに霊柩車は火葬場に到着してしまいました。
「神様、お願いです。僕が何か悪いことをしたなら謝ります。どうか僕の体に戻して下さい」
 仁君は何度も何度も必死になって祈りました。とそのとき、辺りが一瞬真っ暗になったと思うと、仁君は、横になり寝返りを打っている自分に気づきました。
 戻れたのだ。仁君はそう思い、ほっぺたをつねってみました。今度は指が突き抜けることはなく、痛みもありました。しかし、そこはベットの上ではなく、棺桶の中でした。
「ここから出して!僕は生きているよ!」
 仁君が叫んだのは焼却炉の熱い蓋がしっかりと閉じられた直後のことでした。
「助けて、ここから出して」
「お父さん、僕は生きているんだ」
「お母さん、助けてよ」
「熱い」
「焼かれるよ」
「助けて」
「助け・・・」
「・・・」

                                  了


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