ようやく暗闇に目が慣れてきて、辺りの様子が分かるようになった。森の中のようだった。しかし、なぜこんなところにいるのか、こんなところで何をしているのか、俺には分からなかった。何せ自分が誰なのかも覚えていないのだ。
俺は迷彩色の軍服らしきものを身にまとい、ヘルメットを被り、手にはライフルを持っていた。ということは、ここは戦場で、俺は兵隊、そして今まさに戦争の最中と考えるのが妥当なような気がする。
「そんな馬鹿な」
俺はすぐにその考えを否定した。俺は自衛隊員ではない。戦争に駆り出されることなどあり得るはずがなかった。
俺は日本語でものを考えている。ということは日本人である。日本が戦争に参加することはない。それは日本国憲法にしっかりと記されている。最近では、何だかんだと理屈をこねまわして平和維持活動に自衛隊が出かけて行くこともあるが、俺は自衛隊になぞ入っていない。それくらいのことは分かっていた。
とはいえ、俺は今まで何をしていたのかまったく思い出せないのだ。気がついたら、ここにいたという感じだから、何とも心もとない。
激しい爆発音がした。目の前がパッと明るくなった。一瞬、あまりの明るさに目が効かなくなった。しばらくして目が見えるようになって、俺は愕然とした。俺がいるほんの5メーターほど横のところの地面にぽっかりと穴が開き、へし折れた木が炎上していた。爆撃を食らったのだ。ここはまさしく戦場なのだ。
俺は大きな木の陰に身を隠し、改めて辺りの様子を覗った。どうしてこんなことになったかは分からないが、とにかく何とかしないと殺されてしまう。敵の軍隊も見方らしき兵隊も見当たらなかった。逃げ出そうにもどこへ逃げればいいのかが分からない。
そうこうしているうちに、2度めの爆発音が鳴り響いた。俺は衝撃を感じて、吹き飛ばされた。地面に体を打ちつけたが、痛みは感じなかった。怪我はしていないようだ。ただ、土埃を浴びて、服の中や、口の中にも土が入ってしまい、不快だった。
そして、目の前に兵隊の姿が現れた。敵か味方かも分からなかったが、相手がライフルを構えたので、俺も夢中でライフルの引き金を引いた。玉は確かに相手に命中した。丁度、心臓のあたりだ。兵隊はもんどり打って倒れたが、信じられないことにすぐに立ち上がった。俺は泡を食ってライフルを乱射した。確かに何発も俺の銃弾が相手の体にめり込んだ。しかし、またも兵隊は平然と立ち上がった。
もうどうしようもなかった。俺は敵に背を向けて一目散に逃げ出した。相当な距離を走ったような気がしたが、どこまでも森は続いていた。俺は適当な場所に身を隠し、恐怖に震え上がりながら、まんじりともせずに一夜を過ごした。
朝になって、太陽が登った。俺はどうしてこんな目に遭っているのか必死になって考えたが、どうしても思い出せなかった。やがて太陽が真上に来て、昼になった。うだるような暑さだった。まるで灼熱地獄である。
再び夜が訪れたが、俺は何も思い出せなかった。そして、また爆撃を受けた。ゾンビ兵士が現れた。俺は逃げた。森は何処までも続いていた。
また朝になり、昼になり、灼熱地獄に悩まされ、夜になって、爆撃とゾンビ兵士から逃げ惑った。俺はその間まったく眠っていないのに、眠くならないこと、お腹もすかなければ、いくら撃ってもライフルの玉がなくならないことに気がついた。
「これは夢だ。夢に違いない。夢なら早く覚めてくれ」
思わずそう叫んだ時、俺はすべてを思い出した。そう、これは夢なのだ。そして簡単に目覚めることはできないのだ。
「成功です」
若い医師が、興奮で声を震わせていた。年配の医師は計器類を点検してからおもむろに肯いた。
年配の医師が冷凍睡眠の実験に着手したのは、彼が丁度、助手くらいの若さの頃だった。何度も失敗を繰り返し、ようやく動物実験に成功した。そして遂に今、人体での冷凍睡眠に成功したのだ。
ここで気持ち良さそうに眠っている男は不治の病に冒されていた。現代の医学で彼を治療することは不可能であった。しかし、何年先になるかは分からないが、医学が進歩すれば、彼の病も完治する日が来るだろう。
彼はそれまでただ眠りながら待てばいいのだ。
医師たちは、彼が悪夢の中で何年も戦い続けなければならないことを知るはずもなかった。
了