Vol.8   再会

  ヒール     悪役のプロレスラーのこと

  ベビーフェイス いい者のプロレスラーのこと

   力道山の時代、力道山は絶対的なベビーフェイスであり、外人レスラーは必ずヒールだった。力
  道山が、悪くて大きな外人レスラーを空手チョップでなぎ倒す姿に、敗戦後の国民は熱狂した。こ
  れがプロレスのルーツである。
   現代では、プロレスも様変わりした。人気者の外人レスラーもいる。悪役の日本人レスラーもい
  る。いい者同士が闘ったり、悪者にも声援が送られたりする。しかし、プロレスの基本はベビーフ
  ェイス対ヒールであり、それは今も変わらない。

 二人は良きライバルであり、良き友であった。新東京プロレスの道場で、二人が出会ったのは、彼らがまだ少年の面影を残している頃だった。
 プロレスラーの修行は厳しい。道場には十人ほどの若者がいたが、一人減り、二人減り、いつのまにか二人を残すのみとなった。レスラー志願の若者は道場に寝泊まりして、修行を積む。練習についていけずに、夜逃げしてしまう若者がほとんどなのだ。
 彼らも何度か挫折しそうになったこともあったが、お互いに励まし合い、競い合って乗り切った。約一年の練習で、ようやく体も少し大きくなった二人は、念願のプロデビューを果たした。前座の第一試合の十分一本勝負で、二人は対戦した。まだ技など数えるほどしか知らなかった。ただ必死に殴り合い、蹴り合うだけだった。結果は時間切れ引き分け。試合が終わったときはお互いに立っているのがやっとだった。
 プロレスラーになるという夢は実現したものの、まだスタート地点に立ったに過ぎない。二人はその後も、ライバルとして、友として、精進に励んだ。試合をすれば、容赦なく殴り合った。まだ観客のまばらな前座のリングで、彼らは毎日のように戦った。勝敗は勝ったり、負けたりで、ほとんど互角だった。リングを降りれば、一緒に酒を交わしながら、将来の夢を語った。いつか二人でメインエベントのリングに立ち、二人の試合で、大きな会場に満員のお客さんを集めよう。最後はいつも酔っぱらって、そんな約束をするのだった。カラオケに行ったときは、一人の男が、長渕剛の「乾杯」を歌うのも恒例だった。体の大きなその男の方が酒が弱く、歌った後は酔いつぶれ、そんなときはもう一人の男が、酔いつぶれた男を背負って道場まで戻った。
 先にチャンスをつかんだのは比較的小柄な男の方だった。彼はスピーディーな技と端正なマスクでファンにベビーフェイスとして受け入れられた。入門3年目で海外遠征に出るチャンスを与えられた。そしてその2年後、彼はアメリカのニューヨークに渡り、格闘技のメッカといわれるマジソン・スクエア・ガーデンで、世界チャンピオンのベルトを奪取した。ニューヨークでの試合は日本にもテレビ中継されていたから、彼は一夜にしてスーパーヒーローとなった。
 ベルトをひっさげて凱旋帰国した彼は、たちまちメインエベンターの仲間入りを果たした。体力の衰えが見えはじめた社長であり、エースであるレスラーの後を次ぐのは彼しかいない。ファンの皆はそう思っていた。
 彼から遅れること半年で、やはり海外武者修行に出たもう一人の男は、世界中を渡り歩き、やはりアメリカ に流れついた。彼はただでさえ大男ばかりのプロレスラーの中でも、一際大きな体を持っていた。それに加えて、ふてぶてしい面構えをしていた。
 日本人である彼に、アメリカのファンはブーイングを浴びせた。彼は容赦ない反則攻撃で、アメリカ人のベビーフェイス・レスラーを痛めつけた。彼の悪名はたちまちのうちにアメリカ全土に知れ渡った。彼は今や、 最高のヒール・レスラーに成長した。
 彼のアメリカでの活躍は日本のファンの耳にも届いた。そして、一足先に帰国し、メインエベンターとして活躍しているもう一人の男との対戦を臨む声が強くなり、ヒール・レスラーの帰国が決まった。
 超満員の観衆で埋めつくされた日本武道館のリング上で、まだ少年の頃に夢見たメインエベントのリングの上で、何年か振りに二人は向かい合った。この試合の日まで言葉を交わす機会はなかった。今や二人は道場の仲間ではなく、ヒールとベビーフェイスという敵同士なのだ。二人の意志には関係なく、ファンの人たちがそう決めていた。そして、そのファンのイメージに従うのがプロレスラーなのだ。
 試合開始を告げるゴングの音は大観衆の歓声にかき消された。ヒール・レスラーは容赦ない反則攻撃でかつての友を痛めつけた。ベビーフェイスも友の攻撃を受け、そして自分の思いを技に込めて反撃した。お互いに持てる力をすべてぶつけ合い、最後は気力だけで殴り合った。結局、両者リングアウトの引き分けに終わった後も、相手を指さしながら、ののしり合った。
 お互いを認め合い、持てる技術をすべてぶつけ、鍛え抜かれた体でそれを受け止めるレスラーたち。その二人の生き様に夢を託すファン。新しいヒーローの出現を望む時代背景。そのすべてが満たされたとき、初めて名勝負が生まれる。二人の闘いは、まさしく歴史に残る名勝負だった。
 試合後、ベビーファエイスの彼は、近くのバーに飲みに行った。本当は長年のライバルであり、友であるヒールの彼と祝杯をあげたいところだったが、それは許されないことだった。彼は後援者の人や、新聞記者たちと一緒だった。店にいる他の客も皆、彼のことを知っていた。プロレスファンも混じっているようだ。リングの外でも、ヒールとベビーフェースが、仲良く昔話しに花を咲かせるわけにはいかない。
 彼がときには記者たちの質問に答えながらプロレスの話しをし、ときにはプライベートな雑談をしながら何杯かの水割りを飲んだとき、一人の大男が店に入って来た。あのヒール・レスラーであった。
 二人の目が合った。しかし、言葉を交わすことなく、ヒールは店の隅の席に、静かに座って酒を飲んだ。やがて、ヒールは立ち上がるとカラオケのマイクを握った。今、ニューバージョンが流行している長渕剛の「乾杯」だった。あの頃の思いでの曲だった。
 歌うヒールの目に涙が浮かんだ。それを黙って聞くベビーフェイスの目にも光るものがあった。明日からもリングの上で、敵として戦わなければならない二人であった。笑いながら酒を飲み交わせる日が来るのはいつのことになるのだろうか。その日が来るまで、彼らは闘い続ける。

                                  了


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