Vol.5   限りなき多元宇宙

   多元宇宙

 いくつもの世界が同時に進行しているという考え方。それらの世界は少しづつ違っていて、隣の 世界同士では、ほとんど差はないが、遠くの世界は、まったく異なったものになっている。あらゆ る可能性の分だけ、つまり無数の世界が存在する。

 あいつがやって来た。だから俺はこんなやっかいなことに巻き込まれたのだ。
 俺は長距離輸送のトラック運転手だ。今日も大阪から東京まで荷物を届けた。その帰り道だ。も う夜になっていた。2時間ほど前から雨も降っている。
 突然、トラックの前に人が飛び出した。何処かで見たような顔だった。俺は慌ててハンドルを切 った。目前に電柱が迫っていた。ブレーキを踏んだが間に合わない。−−激突、炎上。空間がけし 飛んだ。
 信じられないことに、俺はふと正気に戻ったとき、何事もなかったようにトラックを運転してい た。あの感覚が夢だったとは思えなかったが、とにかく俺にできることといえば、このままアパー トに帰ることだけだ。
 部屋に着いたら、一杯飲んで、とっとと寝てしまおう。そしてこんな訳の分からないことは忘れ てしまおう。そう思っていたが、そうはいかなかった。部屋のドアを開けたとき、そこに俺が座っ ていたからだ。
「お前は誰だ?!」俺は意味のないことを叫んでいた。
「俺は俺さ。そしてお前も俺さ」そいつはやけに冷静に答えた。
「多元宇宙というのを知っているか?SFファンのお前なら知っているよな。お前が先刻、事故を 起こしたとき、その衝撃で空間が乱れたのさ。そして俺がこの世界に紛れ込んでしまったというわ けさ」
 あいつも俺だけのことはあって、俺のことが良く分かっているらしい。確かに俺はSFファンだ から、多元宇宙のことは知っている。そして同じ世界に同じ人間が存在出来ないということも知っ ている。
 俺は台所から包丁を持ち出した。一人しかいられないなら、俺が残るまでだ。しかし、あいつも 同じ考えだったようだ。包丁を持った俺に動じることはなく、ポケットからピストルを取り出すと ニッと笑った。やつと俺の僅かな違い、それは包丁とピストルだった。
 激しい音が聞こえた。もちろん銃声を聞くのは初めてだ。そして右肩に大きな衝撃を受けた。ダ ラダラと血が流れている。痛みはまったく感じなかった。
 俺はフラフラと部屋を出た。包丁とピストルでは勝ち目がない。やつは追って来ないようだった が、俺は恐怖に取り付かれていた。周りのことなど目に入らなかった。
 大通りにさまよい出た俺の目の前にトラックが迫っていた。運転席には見慣れた顔があった。ト ラックが急ハンドルを切った。−−激突、炎上。空間がけし飛んだ。

                                  了


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