Vol.2   消失

 不思議な事件だった。長い間、刑事をやっている私でも、これ程、不思議な事件に出くわしたの は初めてのことだった。
 「密室殺人事件」というものは、ミステリー小説ですっかりお馴染みだ。現実にそんなことが起 こるなど、まずあり得ないことなのだが・・・。
 ところが、この一件はの不可解さは「密室殺人事件」を上回っていた。「密室失踪事件」とでも 言えばいいだろうか?
 一人の男が行方不明になった。ごく平凡なサラリーマンだ。三十一歳、独身で、一人暮らし。勤 務態度は真面目で、無断欠勤など、ただの一度もしたことはなかった。その男が、ある日、突然、 会社に来なくなった。
 会社の方でも心配して、彼に電話をしたが、留守番電話になっていた。次の日も彼は出社せず、 連絡もなかった。その翌日も彼は現れず、連絡もつかなかった。
 いよいよ心配になった同僚の一人が、彼のアパートを訪れた。部屋には鍵がかかっており、ノッ クしても、大きな声で呼びかけても、返事はなかった。部屋の電気は点いてしたし、テレビの音も 聴こえてきた。
 病気か怪我で、彼が部屋の中で倒れているのではないか?そう思った同僚は、管理人に事情を説 明して、彼の部屋を開けてもらったが、中からチェーン・ロックがかけられていた。わずかな隙間 からでは、中の様子はまったく分からなかった。
 対応に困った同僚と管理人は、しばらく相談した後、警察に連絡した。駆けつけた警察官の立ち 会いのもと、ドア・チェーンが切られ、扉が開かれた。しかし、部屋の中に彼の姿はなかった。
 故郷の両親にも問い合わせたが、彼の行方は知らなかった。知人、友人のすべてに連絡してみた が、彼の消息はつかめなかった。
 以後3ケ月、懸命の捜索にも関わらず、彼は依然、行方不明のままである。突然、彼が消えてし まったことも不思議だったが、もっと不思議なのは、中からドア・チェーンがかけられていたこと だ。さらに、二つある窓も中からロックされていた。部屋中くまなく捜査したが、もちろん他に抜 け道などなかった。つまり、彼の部屋は「密室」だったのだ。
 彼がとても几帳面な性格だったことは、知人の誰もが証言している。部屋の中は、一人暮らしの 男とは思えない程、綺麗に整頓されていた。ただ、テレビがつき放しで、床にリモコンが落ちてい た。
 彼の消息が途絶えた前日の夜、友人が彼の部屋に電話をしている。彼は電話に出て、いつもとま ったく変わらない様子だったという。その翌日、彼は会社に出社していない。つまり、彼はその電 話の後、自ら消息を絶ったか、何者かに拉致されたということになる。
 見かけは真面目なサラリーマンでも、実はギャンブル狂で、借金地獄に陥っていたとか、友人に も知られていない恋人がいて、何かの理由で駆け落ちしたといった線も考えられたが、捜査の結果 は、そんな事実は認められなかった。
 何かの事件に巻き込まれた可能性もあったが、あらゆる事件、事故を洗い出した結果、彼の失踪 につながるものは発見できなかった。
 いずれにしても、部屋を密室状態にして、テレビをつけ、リモコンを床に投げ出しておく必然性 は、まったくない。
 彼は部屋の中で、忽然と姿を消してしまった。そう考えるのが最も自然に思えた。しかし、そう なると、もはや心霊の類の話しで、警察の出る幕ではなくなってしまう。実際、この事件はマスコ ミも注目し、「現代の神隠し」などと騒がれ、自称・心霊学者という輩が好き勝手なコメントを発 表していた。ただ、それも1ケ月ほど前までのことで、今では誰も、そんな事件のことなど覚えて はいなかった。
 しかし、この事件の捜査を担当する私は、世間の人たちと同じ様に、無責任ではいられない。そ こで苦肉の策ともいえる方法を思いついた。
 この「密室」で、一日を過ごしてみるのだ。今日は朝から彼の部屋にこもっている。部屋の状態 はあのときのままだった。何時、彼が戻って来てもいいように、彼の両親が家賃を払っていた。ド ア・チェーンは新しいものを取り付けた。
 テレビをつけてはいたが、特に見たい番組はなかった。何故、テレビがつけ放しだったのか考え ていたが、いくら考えても分からなかった。今日はこのまま、この部屋に泊まり、明日の朝を迎え るつもりだった。
 藁にもすがる思いだったが、何の収穫もないまま夜になった。何事も起きなかったし、何の考え も浮かばなかった。私はあきらめて寝ることにした。
 リモコンを手にして「切」のスイッチを押す。この瞬間、すべの事実が明かになったが、私はそ れを知ることはなかった。消えたのはテレビではなく、私だった。つき放しのテレビと、床に落ち たリモコンを残して、私はこの世から消失した。
                             了


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