Rock
               Roxy Music / Avalon (1982)
   

 

 10代の頃を、健全な日常性を否定し、難解さや文学性に価値があるかと思い込み、退廃さや内省さに惹かれていたプチ・デカダンな少年(自分がまさにそうだった)・少女にとって、ロキシー・ミュージックはまさにヒーローだった。

 アート・スクール出身ミュージシャンのはしりであり、初期の、演奏力よりも理論や思想で音楽を構築した彼ら(ブライアン・イーノもオリジナル・メンバー)は、スタイリッシュさとゴージャスさを併せ持ち、当初グラム・ロックの代表的バンドだった。それが徐々にブライアン・フェリーのヨーロッパ的美意識が強くなっていき、ロキシー最後のアルバムである「アヴァロン」では、ついに一つの高みにまで到達してしまった。

 このアルバムを初めて聴いた時の、あの不思議な感覚を、今でも忘れることができない。浮遊する音、たゆたうようなギター、非常に洗練されているのに、どこか懐かしく、かつどこでもないような感覚。伝説の場所アヴァロンをアルバム・タイトルにし、アメリカ発のロックンロールやブルースとは違う、ヨーロッパ的なロック・ミュージックの完成、とでも言ったらいいか。ここに強くたちこめるスタイリッシュなデカダン的感覚は、当時の文系・顔色青白君(またしても自分だ)に、一つの在り方を示したように思う。

 でも、今思うと彼らの到達した世界も、初期の理論や思想性に、確かな美意識を織り込ませながら、徐々に血肉化していった結果のように思う。当時のプチ・デカダン少年・少女が一番嫌った、肉体性の獲得。ロキシー・ミュージックは、思想性と肉体性の両方を得ることによって、あそこまで行ったのだと思う。だからこそこのアルバムの中で、(違う場所を求め続けるロックに対し)「この場所にある」と歌うのだし、一つ前のアルバム・タイトルは、その名もずばり「フレッシュ・アンド・ブラッド」だ。

 何も出来ず薄暗い部屋の中で、いつも理論武装ばかりしようとしていた元プチ・デカダン少年だった自分には、当時アルバム・ジャケットは謎めいていてよく分らなかった。この場所はどこで、そして彼は何を見ているのだ・・。

 でも今ならなんとなくこう思う。彼はしっかりと「この場所」に立ち、そしてそこから先を、見つめているのだと。