来るかどうか分らない何かを待ち続けることは、無駄と焦燥の連続以外何も生み出さない。
だから部屋の外に出た。空は曇っていたし睡眠も3時間程だったが、そのままありもしない虚空を眺めるよりはましだった。
特に行き先があった訳ではなかったが、何となく湘南モノレールと思っていた。さすがに寝不足でふらふらしたので、終着の中央林間まで眠り、藤沢をまわって大船まで行った。眠りから覚めると、世界は快晴に覆われていた。
ここからモノレールの軌道を目印に江ノ島まで歩くことにした。どの位の距離かは分らなかったが、以前乗ったこともあったし、歩けない程ではないだろうと思った。
頭上には青空と久し振りの強い日差しがあった。梅雨が開けたのはつい先日だ。しかしそれほど蒸し暑さはなかった。
初めのうちは路上に軌道があったが、やがて軌道と路が分れ、大体の目印をつけて離れて進むことにした。鎌倉をはじめこの辺は山々や丘が広がり、その向こうに海がある。しばらくは離れて進むことになる。
気がつくと細い山添いの小道を進んでいた。そこに鎌倉中央公園の入口があった。あまりひとけのない山のふもとだった
が、そこには丘を使ったなだらかな小径と、池と、通り過ぎていく木々のざわめきがあった。こじんまりとした山あいの場所で、風が自分たちの通り道をすり抜
けていく音が、はっきりと、聞こえた。
長い時間の後そこを出て、しばらく住宅地を歩いた。軌道は見えなかったがどこに行くかは分った。不思議なことだが、流れていく知覚の向こう側に、行く先はある。
山を一つ越えると鎌倉山だった。以前バーベキューをしたことのある場所だ。下って行き少し丘を越えれば海に着くだろう。まだ多少距離はあるが、日差しも心なし海に近いような気がする。
なだらかな丘の合間に路があり、その上に軌道が走っていた。下から見上げると、そのまま丘の上から空へ延びていっているような気がした。
庭の広い住宅街を抜け丘を越えた時、家々の向こうに、駐車場の黄色のスポーツカーと同じ高さに、防波堤の先の灯台と、突堤の向こうの海が見えた。不意に、目の前の視界と離れた海が同じ位置で見えた。
坂を下って石畳の小道を通った。自分の背よりも大きなボードを持った少年が海から家に帰ってきた。魚屋の軒下で老人たちが3、4人集まって談笑していた。車の上で猫があくびをした。その向こうは海だった。
浜辺の入口の階段に座り、暮れた空と静かな波と、江ノ島の上の新しい灯台を眺めた。ブルーの灯がきれいだった。砂浜では女の子たちが笑ってビーチボールを
投げ、誰かが花火を始めた。サーファーたちは帰って行った。沿道にある小さな急ごしらえのバーで、夏のナンバーがかかっていた。
電車に乗って帰った。クーラーの冷たい風が心地よかった。乗り換えの駅と駅の間でショップに寄りCDを買った。今日はスタンプ2倍の日です、と店員は言った。
家に着いた。連絡はなかったみたいだった。部屋で待ち続けていないでよかった。誰かの都合で生きていくなんてまっぴらだ。
少し日焼けしていた。あの波に乗っていったら、自分の意識がその向こう側へ流れていくことができたなら、いったいどこに辿り着くのだろうか。