Cinema
      Paris, Texas  (1984)

   『 どこまでも青い空に染め上げられた哀感 』

 

 

 初めてこの映画を観たとき、こんなにも美しい映像を観たことがあるだろうか、と思った。10年経った今も、それは変わらない。だから未だに、この映画を超える美しい映像をもった作品に、めぐり合ったことはない。

 「パリ、テキサス」のどこがいいって、乾いた風景の映像の美しさ、その一言に尽きると思う。そしてそれで、もう十分だ。これ以上、何を望むというのだろう。

 ドイツ人監督ヴィム・ヴェンダースが、アメリカ映画に移動の手法を学び取り、その失われた「アメリカの原風景」を撮ろうと、脚本のサム・シェパードが書いた「モーテル・クロニクルズ」をもとに、まさに「移動する視線」にたって作った作品。ここで撮られたアメリカは、どこまでも広く、乾いていて、車のフレームが風景を切り取り、その視点の中で、場面は次々と移ろっていく。

 アメリカなのにパリ、という地名を持った場所からスタートした物語は、4年振りに再会した幼い息子のため、主人公トラヴィスが中古のフォード・ランチェロ58に乗り、息子とともにL.A.を飛び出すところで大きく動き始める。別れた妻がいるであろうヒューストンへ。それは、家庭を捨て、子どもを(勝手に)弟夫婦に預けて放浪することしか出来なかった男が、再び親子や家族の絆を取り戻そうとする、長く乾いた道程でもある。

 偶然とある店で再会することになる二人。だがそれはマジックミラー越しであり、お互いの視線が合うことはない。電話線一本だけで繋がった二人は、息詰まる会話の中、やがてそれぞれの切なさやお互いのすれ違いを自ら知ることになる。家族を思い、一緒に暮らせることを夢見ながら、それでも一ヶ所に定住できない男は、妻と息子が再会するよう仕組み、それを見届けてから、また一人静かに車で去っていく。

 それぞれの視点がある時交差し、またいつしかそれぞれ別の道を行く。ここにはその一瞬の交流が淡い色調の中で語られ、乾いた風景が別れを際立たせる。それでも大地は土埃をあげてそこにあり、どこまでも青い空は何事もなかったかのように澄んでいる。街のきらびやかな光は、そんな日常がごくありふれているとでもいうように、去っていく車の後ろでただひたすら綺麗に光っている。

 映像が美しいほど、その圧倒的な風景が研ぎ澄まされていくほど、この映画に流れる淡く乾いた色調が、いっそう胸に、心に、染み入る気がする。移ろっていく視線は、深く切なく、目に焼きついて離れない。

 

   Paris, Texas (1984)

  監督: ヴィム・ヴェンダース

  脚本: サム・シェパード  撮影: ロビー・ミュラー

  音楽: ライ・クーダ

  出演: ハリー・ディーン・スタントン

       ナスターシャ・キンスキー

       ハンター・カーソン