川べりの道 | ||
『 多摩川の河川敷に住みつく捨てネコが増えている。長引く不況でテントや小屋で暮らす人が多くなり、何とかエサにはありつける。人づきあいが苦手なホームレスの中には、寂しさを分かち合う伴侶にする人もいる。そんな人々に拾われるのを期待して捨てにくる、身勝手な飼い主も後を絶たない。世間から土手ひとつ隔てた川べりで、家をなくしたヒトとネコとが肩を寄せ合っている。 「こんな生活してると、あれこれ思い悩むことも多い。ネコは心をいやしてくれるよね。同じホームレス同士、仲良くしようなって」 近くの柳の木の下に何度か、子ネコ入り段ボール箱が置かれていた。ひどい時には、土手の道路わきに紙袋に入れて捨てていく人もいるという。「どうしてそんな可愛そうなことができるんだろう・・」 多摩川のネコを撮り続けてきた写真家の小西修さんによれば、捨てネコが目立ち始めたのは5年ほど前、多摩川のホームレスが話題になった頃からだ。 「ホームレスがいるといっても、ネコには厳しい環境。川に捨てられるネコの多くは長生きしない。のんきな顔をした町の捨てネコに比べ、川には厳しい表情のネコが多い」 (朝日新聞 11.8.) 』
川崎駅で降りて、多摩川へ行った。河川敷には1キロもしないで着く。第一京浜が走っていて、対岸へと続く。新聞記事になっているのはこの辺りだ。 川べりの道に立ち、下流を見渡す限りでは、そんな場所には見えない。右側が川崎市で、対岸は大田区だ。近くに川崎大師があるが、それより古い工業地帯が大部分を占める。向う岸ははずっとマンションだ。ふと振り返るとすぐそこに、川崎駅周辺の巨大ビル群がそびえている。 土手沿いを歩いて進んだ。ずっと工場だった。古くすすけているが、広い敷地内ではみなフル稼働で、忙しそうに人々が行き来している。 だがふとその壁沿いを見てみると、続いているのはおんぼろの小屋で、そこには人が住んでいた。そして確かに、猫たちも。そこかしこで、座っていたり向こうを眺めていたりする。ここから海まではあと4、5キロだった。そこには、東京の玄関ともいえる羽田空港がある。 やがて向こうに首都高・横羽線と大師橋が見えてきた。これで川崎から東京へと渡る。暗くなると、周りには綺麗な灯ばかり見える。まばゆい幾つもの光。でもその闇の底には、あの家のない人々や沢山の猫たちが、じっと息を潜めているのだ。 橋のたもとに座った。向こうの川下に空港の光が輝いていた。一匹の猫が走ってきて、ちょこんと隣に座った。全く警戒する様子もなく、すぐ隣で休んでは、時々こちらを見上げる。冷たい空気のなか、何か食べ物でもあげられればよかったが、あいにく何も持ち合わせていなかった。 土手のサイクリングコースには、散歩をする人もけっこういる。猫はそんな人が来るたびに、その足元にさっと走っていく。人がそのまま通り過ぎて行ってしまうと、また隣に戻ってくる。 それはきっと、この猫が生きていくために学んだ、大事なことなのだろう。誰かは餌をくれるかもしれない。それを調子の良い行為だと、誰が言えよう。強く生き抜け、と思った。 橋を渡ると、空港の滑走路の長い光の点が下流に見えた。階段を下りて川べりに行くと、小さな船があちこちに停まっていた。釣り用や魚料理を出す船だ。大田区には、そんな船や中小の町工場がたくさん集まっている。飛行機が次々と飛び立つ、そのまばゆい光のすぐ近くに、数え切れない程のささやかな明りが、しっかりと灯る。 空港の近くまで行ったが、「東京国際空港」は滑走路の反対側で、歩いていくのは困難だった。しばらくその場所でぼんやりして、また帰ることにした。巨大な飛行機が飛び立ち、その下の、猫や町工場や心優しき野宿者のことを思いながら。
電車の窓に、家々やビルの明りが流れた。その中のある光は、人々の希望かもしれないし、闇の中にはたくさんの真実が眠っているかもしれない。ある時一瞬、その巨大な闇が都会の中でくっきりと浮かび上がる。僕らが見ているのは、そのほんの一部に過ぎない。 |
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