さよなら、ストーン・ローゼズ
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彼らが登場してきた時の衝撃、革命前夜のようだったあの狂騒を、今でもはっきり覚えている。 89年、今思えばいろいろな意味でのターニングポイントとなったこの年、彼らが登場してきたというのは、本当に象徴的なことだった。 ぼくは17才で、地方のミッション系の高校3年生だった。 天安門事件の起こったその頃、アジトにしていた学校の裏の部室で、初めてローゼズを聴いた。地下室を思わせる内的でノイジーなギター音、そこからスッと浮かび上がる美しいメロディ、すごくイギリス的だと思った。その時は昼休み中ということもあり、その一曲(『 I Wanna Be Adored』アルバム1曲目 )しか聴かなかった。最後の方の「I wanna・・」と繰り返すところなど、とても良いと思った。 ローゼズに対する想いが、「とても良い」どころじゃなくなったのは、ラジオから流れてきた"Bye Bye Badman"を聴いたときだった。 それはもう、直接心臓を掴まれたかのような、強い衝撃だった。 言葉になんてならない。懐かしさや高揚や、これからに対する、何だか分らないけれど信じられるような期待、それらすべてを持って、美しく軽やかに、まるで未来へ向かって駆け抜けていくかのように、その曲は響いた。 その歌が、メロディアスな旋律とは裏腹に、「彼に石を投げつけ、血まみれにしてやりたい」と歌うこと、インタビューで彼らが、「68年のパリで、誰かがバリケードの向こうの警官に向かって歌っていると思ってくれよ(『Tokyo Calling』 90.2.号より)」と言ったことなど、そのすべてが、たまらなく格好良く思えた。 音楽が革命を起こすなんて思ってやいないし、現実を変えていくとももはや信じていない、だからと言ってこんなもんさとクールに割り切って、訳知り顔で生きてる奴になんかなりたくない。そう思っていたぼくには、ローゼズは本当に魔法のように響いた。 音楽で世界を変える、世界を新たなコミューンとする。そういったものは、ローゼズにはどうだってよかったのだと思う。革命を喚起すること、時代の象徴となること。発言とは異なり、やっぱりそんなこと、どうだってよかったのだと思う。 「ぼくはキリストの生まれ変わり(宗教批判として)」 「(ローリング・ストーンズのツアー前座の話を断って)彼らこそぼくらの前座をやるべきなんだ」 「目標は世界のみんなを救うこと。っていうか、こんなふうに生きてるみんなをね」 こういった発言。アルバムが瞬く間にインディチャートのトップを飾り、軒並み各音楽誌のリーダーズポールを取る。そういった時代の寵児となっていく一方、それはまた、ローゼズには付加価値としてついてきたものでしかない。 実際のところ彼らが本当にしたかったことは、すべてを音楽の中に詰め込み、これまでの集積体を創り上げ、まさにその一点にありったけの力で指標を打ち込むこと。自分達を鼓舞し、救済し、継承されてきた音を、再びこちら側の手で創り上げ、自分たちの言葉で語り始めること。 彼らの、60、70、80年代の音楽的要素をすべてぶち込んだような音創り、爆発していくかのようなパワー、そして誇大妄想な発言。それらすべては、まさに敬愛する音楽そのものへの愛情があって初めて受け取れる。そういった地平から彼らは音を鳴らし、ぼくらに語りかけてくる。 「未来はここから先。自分達で創るんだ。きみもどうだい」 今この現状、現実、世界が変わらないなんて知っている。革命がもはや起こらないことも分っている。でもだからこそ、大声でそんな世界そのものに鬱積をぶつけ、力一杯壁を破壊してやること。この世界の常識、良識とかいったものに、おもいきりタンカを切り、あくまでそれを押し通してしまうこと。そうやって自分の力で世界と向き合うこと。そうすれば世界は、きみの前で(その捉え方が)変わるかもしれない、自分は変われるかもしれない。それはきみにも出来るんだ。だからやってみろよ・・。そう言っていたように思う。 彼らの有名な発言の一つ。 「90年代はオーディエンスの時代なんだ」 それはいろいろな意味を持っていたと思う。 ローゼズはその後、ファーストから6年経った後、様相の異なるセカンドアルバムを出した。それはクオリティ的には勿論素晴らしいものだったけれど(全英初登場1位)、あのなんだか分らない、けれど充満したパワーのようなものは、綺麗にまとまってしまっていたように思う。「この次はこんなに間を空けずにアルバムを出すよ」と言っていたのに、メンバーの脱退を機に、なし崩し的に解散してしまった。 あの、次の時代の為の序章のようだったファーストアルバムから、遠く離れてしまった今、彼らに近づけたバンドなど一つもないし、ましてや彼らを超えるアルバムを出した者など誰もいない。すべてはただの焼き直しか、意図的なもの。最後までハッタリを通し続けて笑える者など、誰もいない。 (オアシスはちょっと特別。だが彼らはその出発点がストーン・ローゼズであることを公言している)。 ぽっかりと開いた空白。自分が自分でしかないこと、自分自身にしかなれないことに対する眩暈のような失望。 でもそんな時は、彼らのファースト・アルバムを聴けばいい。そして少し気を落ち着けたら、また歩いて行けばいい。何かを変えるのは、結局のところ自分自身でしかない。彼らはこう歌っていた。 「もうぼくは魂を売らなくていいんだ。もう売る必要なんてないんだ。ぼくの心の中にあるから」 それは今でも、ぼくの中を流れている。 (1998.9.6.) |
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